問注所氏関連

長岩城史跡案内所(50)-3

暫くの間、問注所氏ネタから遠ざかっていましたが、 又宜しくお願いします。 画像は、広報うきはに掲載された長岩城の歴史第三回です。

長岩城史跡案内所(50)-2

平川館長は、今、新川村の歴史をまとめてあります。 画像は広報うきはに掲載された長岩城の歴史第二回です。

長岩城史跡案内所(50)

先日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 福岡県吉井町の若宮八幡宮の話や、平川家と菅原道真の関わりなどの話を伺ってきました。 数回に分けて紹介します。 画像は広報うきはに掲載された長岩城の歴史第一回です。

長岩城史跡案内所(49) 《追記》

平川館長は“広報うきは”に、問注所氏や長岩城の紹介をする記事を執筆されます。 隔週で発行されている市の広報に、月に一度12月1日発行分より8回にわたって、 掲載されるのだそうです。 どのような記事が載るのか今から楽しみです。随時、紹介いたします…

長岩城史跡案内所(49)

今日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 “問注所”の商標登録や鎌倉探訪により作成された資料の話など、約二時間半伺ってきました。 商標を特許庁に登録出願することにより、認められた商標は登録商標となり、 商標使用者は10年間商標権を持つこ…

長岩城史跡案内所(48)-3(最終回)

今回の平川館長の鎌倉探訪では、“問注所跡”にも立ち寄られました。 ここで問注所について少し紹介したいと思います。 源頼朝が設立した鎌倉幕府は、 政所(将軍家務・一般政務)、侍所(軍事・警察)、問注所(訴訟・裁判)で組織されていました。 問注所とは政所…

長岩城史跡案内所(48)-2

今回の九州北部豪雨は国の激甚災害に指定されたため、 国から8割の援助金が出るのだそうです。 石垣が崩壊したり、土砂が流れ込んできたりなどして被災した方々は、 復旧とともにその申請手続きにも追われているのだそうです。 毎年9月につづら棚田で開催…

長岩城史跡案内所(48)-1

先日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 7月14日の九州北部豪雨の話や鎌倉探訪の話など、約二時間半伺ってきました。“ 今回の災害は、姫治・田籠地区にも甚大な被害を及ぼし、 平川館長所有の本村のバス停付近も土地が削られ、地形が変わって…

長岩城史跡案内所(47)-3(最終回)

前回、紹介した“三善家は貴族500年に及ぶ”に記載されている、 歴史用語をいくつか説明します。 三善為長が着任した“少監物”とは年貢を管理する部署。 三善為長・三善為康が着任した“大外記・小外記”とは外務省の様な所。 三善康光が着任した“雅楽允(がら…

長岩城史跡案内所(47)-2

貴族として冠位が貰える者は約150名、五位以上が上流貴族と呼はれる人達で、 天皇家に出入りが出来る立場なのだそうです。 正一位(しょういちい)が、位階の最高位に位し、従一位の上にあたるらしいのですが、 生前に叙された者は史上でも6人しかおらず…

長岩城史跡案内所(47)-1

今日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 聖徳太子の制定した冠位十二階の話しや、三善為康の著書の話、 福岡市の三善さんの話など、約二時間半伺ってきました。 “童蒙頌韻(どうもうしょういん)”の著者の三善為康(みよしためやす)は、 三善為長(従…

長岩城史跡案内所(46)-3(最終回)

三善為康(みよしためやす)は、正五位下 少外記 諸陵頭越後介 1049~1139(永承4年~保延5年)で官職には不遇であったそうです。 しかし、信仰に厚く、数学博士でもあり啓蒙的な著書も残しています。 三善清行の5代後の子孫で、三善康信の祖父に当た…

長岩城史跡案内所(46)-2

分田の野上家は元々江戸時代には、有馬藩の山守をしていたそうで、 その流れにより浮羽で1~2を競う大地主となっていったそうです。 その後、戦後の木材需要の特需により、莫大な富を築いていったのでそうです。 現在は、“安政” http://www.gallery-ansei.…

長岩城史跡案内所(46)-1

今日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 平川家や野上家の子孫の話しや、三善為康の著書の話など、約二時間程伺ってきました。 今回、史跡案内所は6月15日まで開館しています。 数回に分けて紹介します。 写真は姫治地区分田の今の状況です。

長岩城史跡案内所(45)-3(最終回)

6年前 愛知県に開校した“海陽学園” http://www.kaiyo.ac.jp/index.htmlは、 子どもたち一人ひとりの能力の優れている部分を見いだし、 リーダーシップを発揮する上で欠かせない社会性や道徳心を養い、 次代のリーダーの育成を目的として、設立された全寮制の…

長岩城史跡案内所(45)-2

鎌倉には歴史のある神社・仏閣が沢山あるそうです。 その中の一つの“鶴岡八幡宮”は1180年に源頼朝により現在の地に移されたそうです。 武家政権の象徴・精神的な中心として、信仰面だけではなく、 政治・儀礼の舞台としても重要な場所であったそうです。 NHK…

長岩城史跡案内所(45)-1

先日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 先週行かれた鎌倉歴史探訪の話や、三善康信や、 6年前愛知県に開校した“海陽学園”の話など、約二時間程伺ってきました。 今回、史跡案内所は4月29日まで開館しています。 数回に分けて紹介します。 写真は…

長岩城史跡案内所(44)-3(最終回)

今回の訪問で館長は、三善為康著の本などを確認され、 今後その内容を確認されていくそうです。

長岩城史跡案内所(44)-2

問注所氏が浮羽の領主になる以前には、大分日田の津江郷の領主長谷部氏が治めていたそうです。 長谷部信連(はせべのぶつら)は、後白河上皇の第二王子以仁王(もちひとおう)の平家討伐に加わり、 武勲を立て、源頼朝から津江郷を与えられ、長岩に城を構築し筑…

長岩城史跡案内所(44)-1

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 新川地区について描かれ発行された写真集の件や、 津江郷の領主 長谷部信連の件・三善康信らの子孫の件などについて伺ってきました。 今回、史跡案内所は3月31日まで開館しています。 数回に分けて紹介し…

長岩城史跡案内所(43)-3(最終回)

今回の訪問時に、平川館長より面白い本を紹介していただきました。 “公卿補任年表”という笠井昌昭(かさいまさあき)著の本です。 この本は、一人の人物について在職期間に、 参議などから次第に上位の官職へと昇進していくその移動のさまを、 視覚的に捉える…

長岩城史跡案内所(43)-2

石垣の保存は“新川・田篭伝統的建造物保存地区”として、 伝統的建造物(主屋・土蔵・付属屋)192棟、 石垣などの工作物1207個の一部で、後世に残す為に、 保存地区として指定されるように計画されています。 指定されると、RC造などへの変更が効かな…

長岩城史跡案内所(43)-1

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 長岩城跡の件や、姫治地区の石垣の保存の件などについて伺ってきました。 今回、史跡案内所は3月3日まで開館しています。 数回に分けて紹介します。

長岩城史跡案内所(42)-3(最終回)

平川館長に伺ったところによれば、御成敗式目の写本は寺小屋のある時代には、 写本として利用されていたそうです。それだけ、書体がしつかりしており、 内容も学ぶには、充分なものであったものだった為のようです。 又、三善氏は信州の方に栄えた、板倉三善…

長岩城史跡案内所(42)-2

平川館長の元を訪れて、様々伺いましたが、 昨年末には、北九州の歴史研究会の方々がバスで来館されたそうです。 長岩城を見学された後、展示されている片山安夫先生の作成された長岩城図を 確認されていかれたそうです。 今後も、人気スポットとなり、観光…

長岩城史跡案内所(42)-1

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 御成敗式目の編纂の話や、妹川~星野のトンネルの賠償の話等、 約3時間程話を伺ってきました。数回に分けて、 紹介します。 今回、史跡案内所は1月29日まで開館です。

長岩城史跡案内所(41)-3(最終回)

姫冶小学校ちかくには、高御魂神社(たかみむすびじんじゃ)があります。 宇多天皇 寬平7年(895)、肥後国八代郡大田郷の妙見宮を、熊抱平馬太夫行定がお供して、 この地に勧請したということです。 永禄10年(1567)には、長岩城主 問注所鑑豊が新川村…

長岩城史跡案内所(41)-2

問注所氏長岩城付近を源流に隈上川が流れていますが、 それは下流の長野水神社付近で、筑後川へと注がれていきます。 その隈上川上流には、小塩発電所・橋詰発電所・栗木野発電所と、 3ケ所の水力発電所があるのだそうです。 いずれも大正時代中期に建設さ…

長岩城史跡案内所(41)-1

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 長岩城跡の件や、隈上川流域の発電所の話、 長岩城跡の案内看板の設置の話など、約2時間程話を伺ってきました。 今回、史跡案内所は12月10日まで開館です。 数回に分けて紹介します。 写真は問注所氏…

長岩城史跡案内所(41)-2(最終回)

今年のJRウオークは、シャトルバスでかわせみ広場へ行きそれからスタート、棚田を巡り、 ゴールは諏訪神社でそれからシャトルバスで駅までと、今までと少しコースが変わりました。 その為、史跡案内所の前を歩いて通るのは登りの時の一回となったので、 来館…