2009-01-01から1年間の記事一覧

くるめウスの探鳥会①

先日、くるめウスの探鳥会に参加してきた。 参加者20名ほどのこじんまりした企画であったが、 楽しい企画であった。数回に分けて紹介する。 写真は、遊覧船と、遊覧船周辺に、近づいてくる “まがも”“かるがも”“ひどりがも”である。

長岩城史跡案内所(27)

三善康信(みよしやすのぶ)が、鎌倉幕府より問注所(訴訟・裁判を行なう所)に就任し、 生葉郡に15ヶ村300町を賜った。 その15ヶ村は平川館長が、戦後の農地改革以前まで所有されていた 田畑のその位置と、一致していたということであった。 三善康信の…

長岩城史跡案内所(26)

三善康信(みよしやすのぶ)より、四代後の康行(やすゆき)は、 正和二年(1312)に生葉郡に下向し、 長岩城を築き、大友氏の家臣となっていった。 鎌倉幕府より賜った、その15村とは、 田篭、新川、朝田、小坂、流川、溝尻、小塩、大村、 糸丸、角間、四大…

長岩城史跡案内所(25)

先日、問注所史跡案内所を訪れてきた。 9月27日のJRウオークラリーで、 参加者の方々が多数立ち寄られたことや、 説教所の修繕・解体の市側の対応などについて、 約一時間半程話をした。 現在は、平川館長は三善康信(みよしやすのぶ)が、 建久七年(119…

ふるさと館ちくしの

明日までではあるが、今ふるさと館ちくしので、 “長崎街道 筑前六宿 今と昔”という特別展が開催されている。 原田宿・山家宿・木屋瀬宿など筑前六宿の、昔の名残がある写真や、 ケンペルやシーボルトが通った長崎街道の手記等が、 展示されている。入場無料…

筑紫の追分石

長崎街道と松崎街道の分岐に当たる西鉄筑紫駅の西側、 現在の筑紫農業協同組合筑紫支店の角にあったものである。 今は“ふるさと館ちくしの”の入り口付近にある。 右 原田 田代 久留米 左 本郷 松崎 府中 と書いてある。 現存しているものは、明治時代に建立…

筑後川探鳥会

12月13日(日)くるめウスで探鳥会が開催される。 久留米市の水天宮に集合・解散で、約一時間半程、 屋根・壁つきの船に乗船し、野鳥を観察するものである。 なかなか図鑑とCDだけでは、名前が解らないので、 この機会に参加して、見かけた鳥の名前が解れば…

五条梅大路の道標石

R3“君畑”の信号を北へ1000M“五条駅入り口”の交差点にある。 右 天拝山 二日市 榎 寺 湯 町 従是 左 針 摺 松 崎 久留米 熊 本 甘 木 日 田 佐 賀 長 崎 と書いてある。 明治(1878)に建てられた物で、堂々とした風格がある。 行き先の表示が妙に多…

ブラタモリ

NHK総合の、“ブラタモリ”(木曜日22:00~22:43 http://www.nhk.or.jp/buratamori/)が面白い。 タモリと久保田アナウンサーが、東京の街を古地図をもとに、 歩いて廻る番組だ。 江戸時代や明治時代の名残が、街のあちこちに発見できるところが面白い。 お薦め…

長岩城跡にある説教所

問注所氏長岩城跡地一帯は、現在、県の公園として、維持・管理されている。 城跡に建っている説教所は、明治時代に地域の公民館代わりとして、 使用されていたということだ。http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/21040970.html しかし、近年、その利用目的…

袋野隧道探検会⑦(最終回)

派手さは無い地味なイベントではあるが、 郷土の歴史を知る上での、貴重な遺産を見学でき、 非常に満足している。 今回の探検会には、400名を超える方々が参加されたそうで、 遠くは北は北九州市から、南は大牟田市からの参加者もあったそうだ。 三年後も…

袋野隧道探検会⑥

1664年、五庄屋の活躍により、大石堰・長野水道が開通した。 その事により、吉井地区の荒地が農地へと、変わっていったわけである。 その8年後に、五庄屋のTOPでもあった、田代重栄(たしろしげよし)が、 このプロジェクトを開始したわけである。 田…

袋野隧道探検会⑤

通常は、満水状態である隧道は、老朽化によりコンクリートで、 補強されている箇所も多い。 又、前日に実行委員会の方々が、水抜きし清掃されるさいには、 川魚もたくさん捕まえられるようだ。 写真は、補強箇所と、1670年当時に削られた、つるはし・の…

福岡県の城郭③

“福岡県の城郭”は11月6日(金)発売決定! 問注所氏の居城長岩城や、今まで調べられていなかった中世の山城が、 記載されているらしい。発刊が待ち遠しい。 写真は長岩城周辺の状況である。

袋野隧道探検会④

問注所政連(もんううじょまさつら)が慶長3年1598年に、 長岩城を開城してから74年の後、この偉業が成し遂げられた。 1672年以前、うきはの上流地域の人々は、 筑後川の豊富な水があるにもかかわらず、その恩恵を受けられてはいなかった。 それを…

袋野隧道探検会③

このイベントには、近隣の山春・大石小学校の児童の皆さんが、 毎回参加しているということである。 三年おきに開催されているのは、児童が卒業までに一度は、 参加できるようにと、考えられての事であるらしい。 写真は、開会式の状況と隧道の入り口付近で…

袋野隧道探検会②

前回の三年前の企画の時には、約250名程の参加者があったという事であった。 今回は、NHKのT.V.で紹介されたり、新聞各紙・うきは広報誌でも紹介されたので、 前回を上回るであるだろうと、予想されていた。 写真は田栄神社と説明版である。

天領日田⑤(最終回)

写真は草野本家の忍び返しである。 裕福な商家では門や塀の上に設置して、不審者の侵入を防いでいた。 このような忍び返しは、久留米市草野町の“上野武則邸”でも見たことがる。 草野の上野家は、薬の卸売業を営んでいて、財をなした家である。

つづら棚田ウオーキングVol.2⑥(最終回)

帰りに問注所氏長岩城史跡案内所の、平川館長の元へ立ち寄ってみた。 今年もダイハツの三輪車を表に展示してあり、 又、参加者の休憩用に椅子も数脚だされていた。 立ち寄られる方の中には、問注所氏やうきはの郷土史に、 興味を示される方も多く、私が簡単…

つづら棚田ウオーキングVol.2⑤

今年の彼岸花の開花状況は、散り初めといったところであったが、 同時期であった昨年よりも、花は相当多く残っていた。 同時期であっても、年によって状況は相当違うわけである。 折り返し地点では、今年も抽選会が行なわれており、 私は、昨年の“棚田米1kg…

袋野隧道探検会①

明日、10月11日(日)うきは市浮羽町袋野(R210うきは市と日田市の県境近く)にて、 袋野隧道探検会が実施される。 袋野隧道は、330年程前に掘られた水路であるが、 現在も利用されており、当時施工したツルハシや手のみの跡が、 生々しく残っているそう…

福岡県の城郭②

“福岡県の城郭”の発売を銀山書房に問い合わせてみたところ、 再度、延期になって十月末予定になったそうである。 今回の延期で最後だそうである。発売が待ち遠しい。

つづら棚田ウオーキングVol.2④

コースは殆ど昨年と同じであるが、 新しく出来た、森林セラピーコースなどが組み込まれていた。 そのコースは、木材のチップまで敷き詰めてあり、 とても歩き易い道となっていたが、少々手の加え過ぎという感じもした。 又、周辺には長岩城跡の木道コースや…

つづら棚田ウオーキングVol.2③

今年は昨年に比べて、スタート地点が大分麓側へ下った為、 スタート地点から棚田までの上り6km、 下り6kmの全工程12kmのやや健脚コースである。 途中、姫治小学校の運動会や、問注所氏の居城跡の長岩城、 その周辺の奇岩群を見学し、より高所の棚…

つづら棚田ウオーキングVol.2②

9月27日(日)昨年に引き続き、つづら棚田ウオーキングに参加してきた。 昨年は予想を上回る1000人以上の参加者があり、 このコースは好評であったようである。 昨年のスタート地点は、‘四季の舎ながいわ’であったが、 今年のスタート地点は‘かわせみ公…

天領日田④

日田の草野本家の先祖は、元々久留米市草野町出身であると思われている。 天正15年(1587)豊臣秀吉の使者、蜂須賀家政から草野家清は殺害され、 主な家臣もそれを追うように、自刃していった。 ここで、問注所氏の宿敵でもあった草野家は、滅亡するわけ…

つづら棚田ウオーキングVol.2①

明日はJRウオーキングがうきは市である。 昨年に引き続き、葛篭棚田の彼岸花の景観の素晴らしいところを、 巡るコースである。私も昨年に引き続き参加する。 状況を又、報告する。 http://www.jrkyushu.co.jp/tabi/walking/pdf/20090927_ukiha.pdf http://ww…

天領日田③

江戸時代、日田は九州での政治・経済の中心地で、 江戸や大坂・長崎との交流も多かった。 日田の郡代は時々長崎へ、長崎奉行に会いにも行っていたらしい。 その際、筑後川を船で下り、途中久留米に立ち寄り、 有馬藩の接待を、受けていたということである。

天領日田②

江戸時代日田は掛け屋(米の代金の前払いで金を貸す所)や、 大名の御用達で富裕な商人が台頭していったと言う事である。 日田の掛け屋は、当初徳川幕府相手のみに貸していた為、 取っぱくれが少なく、財を蓄え、大商人が増えていったそうである。

福岡県の城郭①

昨日、問注所資料館の平川館長の元を訪れた時に、 近々“福岡県の城郭”という本が、出版されるという事を伺った。 昨年末に、北部九州中近世城郭研究会の方が来館されて、 長岩城の縄張り図を、館長に確認されていかれたと伺っていたが、 その時の本が、間も…