長岩城史跡案内所(42)-3(最終回)

イメージ 1

平川館長に伺ったところによれば、御成敗式目の写本は寺小屋のある時代には、

写本として利用されていたそうです。それだけ、書体がしつかりしており、

内容も学ぶには、充分なものであったものだった為のようです。

又、三善氏は信州の方に栄えた、板倉三善氏がいて

三善康信”を書かれた三島義教先生が、その研究会の中心で、

活動されているそうです。