国境石・郡境石・追分石

飯塚歴史資料館の郡境石

飯塚歴史資料館の入り口付近に鎮座してる郡境石です。 江戸時代末期~明治時代初期ものうであろうということ程度のことしか わかっていないそうです。残念です。

嘉麻市の国境石

久し振りに、国境石を見に行きました。 筑豊にあるもので、書体は堂々としています。 東 豊前国 西 筑前国 と書いてあります。 しかし、だいぶん風化していいます。 地域からも、大事にされていないようで残念です。

旧冷水峠にある郡境石・道標石

旧冷水峠のピーク地点より、大根地山側へ300m程進んだところに 郡境石二基・道標石一基があります。 それぞれ 従是 東穂波郡 従是 西御笠郡 従是 大根地宮 明治三十二年 と書いてあります。 R200より少し離れ、樹木に包まれた“長崎街道”沿いである為か、…

小郡市にある県界標

福岡縣三井郡小郡村 表 縣界標 佐賀縣三養基郡田代村 右 至 田代 ニ粁・至 久留米市 十二粁 左 至 飛行隊 八粁・至 甘木町 十三粁 この県界標は、R500の“流通センター入口”の信号付近にあります。 小郡市と 鳥栖市 の境です。 “粁”はキロメートル、“米突”は…

筑紫野市鬼面にある追分石

この追分石は、 R3の“高雄”の交差点より 二日市中学校側へ100m程行った、 ホームセンター グッデイ太宰府店の入口付近にあります。 左 太宰府 右 阿志岐 ヲ 経テ ○○ 大根地 米ノ山○ と書いてあります。本石の下部は道路に埋設しており、全様は不明です。 本…

内野宿の道標石 ②

街中の三叉路、恵比寿像が鎮座している所より、北へ1km程進んだところに、道標石はあります。 右 さいふ道 明治十年五月 古海氏 建 と書いてあります。 道標石の先には、“御茶屋”があったそうなのですが、明治時代に入り、 その役目を終え解体・移築され…

内野宿の道標石 ①

冷水峠を飯塚側に下ったところに内野宿はあります。 冷水峠より下ってきた長崎街道と、大宰府へ至る宰府道との分岐点に、道標石はあります。 太宰府天満宮米山越道 と書いてあります。 元禄13年(1700)に建立されたもので、隣には恵比寿像が鎮座してい…

筑紫野市岡田にある追分石

R386天山のバス停を甘木方面へ、100M行った所にある信号より、 岡田方面へ250M行った“よだれ地蔵”の脇にあります。 周辺をうろついていると、地元の方で郷土史会に所属しておられる方から、 声をかけられ、話を聞くことが出来ました。 その方は…

筑紫野市武蔵にある道標石

先日、二日市であった新年会へ向かう時に、 ふと道標石らしき物が目に入ったので、後日確認してきました。 九州道高速筑紫野バス停を、降りた所付近にあります。 従是 右 飯盛古戦場跡 等と書いてあります。 しかし、これは近年建てられた物のようで、 古い…

筑紫の追分石

長崎街道と松崎街道の分岐に当たる西鉄筑紫駅の西側、 現在の筑紫農業協同組合筑紫支店の角にあったものである。 今は“ふるさと館ちくしの”の入り口付近にある。 右 原田 田代 久留米 左 本郷 松崎 府中 と書いてある。 現存しているものは、明治時代に建立…

五条梅大路の道標石

R3“君畑”の信号を北へ1000M“五条駅入り口”の交差点にある。 右 天拝山 二日市 榎 寺 湯 町 従是 左 針 摺 松 崎 久留米 熊 本 甘 木 日 田 佐 賀 長 崎 と書いてある。 明治(1878)に建てられた物で、堂々とした風格がある。 行き先の表示が妙に多…

甘木にある国境石

甘木I.C.近くR500“東田”の信号より西へ300M、 川沿いを南へ300M、馬田公民館にある。 従是 北東 筑前国 従是 南西 筑後国 と書いてある。 下方部で折れていて、補修してある。 又、一面ではなく、二面にそれぞれ書いてあるのも、珍しい。

小郡市にある郡境石

小郡市御原小学校近く、県道14号線“古飯(ふるえ)”の信号より 南へ750Mの所にある。 北 御原郡 従是 北四百六間 古飯村下場 南 御井郡 と書いてある。 実際の郡境ではなく、控えられた所にあるのも珍しい。

鳥栖市にある追分石②

R3“姫方”の信号より西へ約800M、セブンイレブンの手間を南へ約300M、 久光製薬の正門の南側にある。(鳥栖市田代外町571番地) 右 さか 左 くるめ道 と書いてある。 田代宿では、江戸時代商業が発展し、市が立って、野菜・茶・紙など様々なものが売買…

鳥栖市にある追分石①

R3“姫方”の信号より西へ300M、交差点を北へ150M 吉松産婦人科の近くにある。(鳥栖市田代昌町28番地) 右 ひこ山 左 こくら、はかた と書いてある。 長崎街道の田代宿は、肥前対州領で、対馬藩の飛び地であった。 ひらがな交じりで、綺麗な文字である。

筑紫野市原田の追分石

筑紫野市原田旧R3“原田局前”の信号より西へ50M、 “筑紫神社前”の信号、鳥居の足元にある。 左 天満宮 参詣道 と書いてある。(http://www.kyuhaku-db.jp/dazaifu/historic/70.html#1) 文久4年(1864)のものであり、その頃さいふ詣りが、 盛んであったとい…

太宰府市にある道標石

太宰府市県道R112(旧R3)“関屋”の信号より西へ50Mのところにある。 二基あり、 天満宮 東 従是 二十五丁 享和二年 是ヨリひがしさいふ参拝道 と書いてある。 一基は、元禄四年(1691)のものであり、 その頃よりさいふ詣りが、盛んであったということである。

久留米市大橋町にある郡境石

R210“大橋三差路”の信号を北へ500M、“大橋歴史公園”を過ぎて、 “大橋”を渡りすぐ右折して200M、右側の巨瀬川堤防敷にある。 東 竹野郡 西 山本郡 と書いてある。 他のものと比べて、とても小さい字である。 江戸時代、久留米から日田へ向かう日田街道は二本…

うきは市にある郡境石

R210田主丸鷹取“樋ノ口”の交差点より、北東へ100Mの所にある。 東 生葉郡 分界 西 竹野郡 と書いてある。 うきは市教育委員会から頂いた資料によると、うきは市内に郡境石は全部で5基あるらしいが、 現在、その場所が確認されているのは、ここのものと、 千…

杷木町にある国境石③

R386沿い杷木町と日田市との県境付近にある、阿蘇神社の入り口付近にある。 従是 西北 筑前領 谷川半境 と書いてある。 豊後国と筑前国の境の国境石である。 この石は、“杷木町にある国境石①”と同じ内容が書いてある。 書体も似ているようだが、同じ人の作で…

杷木町にある国境石②

朝倉市の道の駅、バサロの東隣の民間会社の敷地内にある国境石。 志波村抱 とかいてあるが、あとは読めない。 控石であると考えてあるらしい。

杷木町にある国境石①

杷木I.C.入り口の西側、R386沿い旧こども未来館はきの敷地内にある。 従是 西北 筑前領 谷川半境 と書いてある。 豊後国と筑前国の境の国境石である。 “谷川”と書いてあるのは、境谷川ということらしいが、 “半”と書いてあるのは、川の中央が境という事なの…

うきは市にある県界標

R210沿い、うきは市と日田市の境、日田市に向かって右側にある県界標。 郡境石・国境石ではなく、比較的新しく昭和 3年 3月のものである。 至 日田町 九粁 百二十四米突 至 耶馬溪・羅漢寺 五十二粁四百七十八米突 至 中津町 六十二粁五百四十九米突 至 吉井…

朝倉町にある国境石

従是 西北 筑前国 文化12年乙亥三月 上座郡 長渕村抱 と書いてある。 筑後川の下流で埋まっていたものがみつかり、現在は旧朝倉町役場敷地内に設置してある。 埋まっていた為だろうか、文字がすごく鮮明である。 高さが約2M程あり、今まで見たものの中で…

吉井町にある国境石

吉井中央公民館にある3基の国境石。 本来どこにあったものかは、不明だが、スポーツ・アイランドから発見されたものらしい。 南 従是 筑前○ 東 西 従是 筑後領 南 と書いてある。 筑後川が氾濫した時に、流されてきたものだろうか?

大刀洗町にある国境石③

大刀洗町中央公民館前にある、国境石・郡境石。 国境石2基・郡境石1基がある。 国境石は稲数、郡境石は冨多にあったものである。 南 筑後国 従是 北 筑前国 西北筑後国 従是 東 筑前国 南 御井郡境 従是 北 御原郡 と書いてある。 この地域は、江戸時代に…

大刀洗町にある国境石②

北 従是 筑前国 東 と書いてある。 R500沿いの甘木鉄道山隈駅入口の信号付近、“7-11”の近くにある。 文字は、大分、風化されて読みにくく、なっている。

大刀洗町にある国境石①

大刀洗町、R322陣内交差点東側にある。 従是 西北 筑前国 従是 南 筑後国 と書いてある。 私有地の一画のようであるが、国道の拡張時に移設されたのであろうか?

山家宿の追分石

右 肥前 太宰府・長崎 原田 左 肥後 久留米・柳川 松崎 と書いてある。 元々、JR筑前山家駅の北西500mのところに、あったと考えられている。 今は、‘ふるさと館ちくしの’に保存されているが、 そこに来る前は、農家の倉庫の基礎石として使用されていたらしい…

馬市の国境石

小郡I.C.より北へ五分の所にある。 従是 北 筑前国 従是 南 筑後国 と書いてある。 二つの国境石が、競い合うように建っており、筑前側のものは 二川相近(ふたがわすけちか)の書である。 アマンディの進入口の付近にある国境石(三国境石③)と、 同じ筆跡であ…