内野宿の道標石 ②
街中の三叉路、恵比寿像が鎮座している所より、北へ1km程進んだところに、道標石はあります。
右 さいふ道 明治十年五月 古海氏 建
と書いてあります。
道標石の先には、“御茶屋”があったそうなのですが、明治時代に入り、
その役目を終え解体・移築されたのだそうです。
“御茶屋”が廃止された後も、宰府参りに行く人達はこの道を通り峠を越えていたらしいのです。
内野宿より、米ノ山峠の今の竜岩自然の家あたりへ出て、愛獄山を越え、
竈門神社経由で、太宰府天満宮まで行っていたのでしょうか。
地元の方々は、“スダワラ越”と呼んでいるらしいです。
今も残っているものなら、当時の人々の情景を思い浮かべながら、
歩んでみたいものです。
右 さいふ道 明治十年五月 古海氏 建
と書いてあります。
道標石の先には、“御茶屋”があったそうなのですが、明治時代に入り、
その役目を終え解体・移築されたのだそうです。
“御茶屋”が廃止された後も、宰府参りに行く人達はこの道を通り峠を越えていたらしいのです。
内野宿より、米ノ山峠の今の竜岩自然の家あたりへ出て、愛獄山を越え、
竈門神社経由で、太宰府天満宮まで行っていたのでしょうか。
地元の方々は、“スダワラ越”と呼んでいるらしいです。
今も残っているものなら、当時の人々の情景を思い浮かべながら、
歩んでみたいものです。