久留米市大橋町にある郡境石
R210“大橋三差路”の信号を北へ500M、“大橋歴史公園”を過ぎて、
“大橋”を渡りすぐ右折して200M、右側の巨瀬川堤防敷にある。
東 竹野郡
西 山本郡
と書いてある。
他のものと比べて、とても小さい字である。
江戸時代、久留米から日田へ向かう日田街道は二本あった。
一本は筑後川沿いの道で、現在のR210より北側にあり、
もう一本は、耳納連山の麓を通る、概ね現在の県道151線である。
この川沿いと山沿いを走る、二本の日田街道の分岐となった所が、
久留米I.C.東側の“山川追分”である。今も、地名として残っている。
この郡境石は、元々その川沿いの日田街道沿いで、“大橋小学校”付近にあったものらしい。
昭和50年、橋の拡幅工事が行われ、その時に現在地に移設されたものである。
又、その工事の時に解体された石橋は、“大橋歴史公園”に復元されている。
(但し、当時は手摺は無かったらしいが・・・)
当時を知る事ができる、立派な公園である。
“大橋”を渡りすぐ右折して200M、右側の巨瀬川堤防敷にある。
東 竹野郡
西 山本郡
と書いてある。
他のものと比べて、とても小さい字である。
江戸時代、久留米から日田へ向かう日田街道は二本あった。
一本は筑後川沿いの道で、現在のR210より北側にあり、
もう一本は、耳納連山の麓を通る、概ね現在の県道151線である。
この川沿いと山沿いを走る、二本の日田街道の分岐となった所が、
久留米I.C.東側の“山川追分”である。今も、地名として残っている。
この郡境石は、元々その川沿いの日田街道沿いで、“大橋小学校”付近にあったものらしい。
昭和50年、橋の拡幅工事が行われ、その時に現在地に移設されたものである。
又、その工事の時に解体された石橋は、“大橋歴史公園”に復元されている。
(但し、当時は手摺は無かったらしいが・・・)
当時を知る事ができる、立派な公園である。