国境石・郡境石・追分石

旧八丁越にある道標石

秋月街道沿いにある道標石。 左 山 道 と書いてある。 直進は秋月街道である為、幹線道路であるが、 左の道は山道で田舎道であったという訳か? 現在では左の山道を進む事は、荒れていそうであり、勇気が要りそうだ。 道の先がどのようになっているのか、知…

三国境石④

三国境石の北側、国道3号線のポケット・パークの中にある。 従是 東筑前國 従是 西肥前國対州領 と書いてある。 二つの国境石が背中合わせに立っている。 本来、国境石の両サイドにある石との延長線が国境だったそうである。 車の通りが多い所であるが、あ…

三国境石③

三国境石の北側、アマンディーの旧車両進入口にある。 従是 北筑前国 と書いてある。 これは、二川相近(ふたがわすけちか)の書であり、威風堂々としている。 筑前領内最大の国境石ということである。

三国境石②

三国境石の傍石(国境石と国境石の間を埋めるように置かれた石)。 筑前側、従是 北 筑前国 筑後側、従是 東南筑後国 とかいてある。 筑前側・筑後側・肥前側にそれぞれあったが、今は二箇所だけで肥前側の物はない。 アマンディー(旧アクアフォーレ)の建設時…

三国境石①

筑紫野市美しが丘南にある、珍しい円筒形の三国(筑前・肥前・筑後)を示した国境石。 (郡境石ではない?) アマンディー(旧アクアフォーレ)、東明館小学校建設時に、長崎街道が寸断され、 今は東側の擁壁をよじ登ってからしか行けない様になっている。 貴重な…

朝倉市秋月街道にある道標石

女男石集落の南にある。 さいふ 右 まつさき ○是 あまき 左 ほんかう と書いてある。 元々、‘従是・・’とあったのだろうが、上部の部分が折れたのだろうか? でも反射板が耳のように見えて、可愛らしい。

筑前町の道標石

R386弥永の信号から20m秋月方面に行ったところにある道標石。 はかた 右 道 さいふ くるめ 左 道 松崎 と書いてある。 民家の塀に沿ってあるため、なかなか見つけにくい。

大野城市の道標石

大野城市大城4丁目(太宰府I.C.近く)にある道標石。 左 うみみち 従是 右 やまえ○ と書いてある。 この道標石は、道しるべと道の神とを複合させたもの ということで、珍しいもののようだ。このようなタイプは初めて見た。 道標石の上の方にあるマークが、こ…

大野城市の郡境石

旧国道3号線(県道112号線)沿い、錦町1丁目の信号より北へ200mの所にあった郡境石。 西 那珂郡 従是 東 御笠郡 と書いてある。 破損が酷くなり、今は大野城市歴史資料展示室に移設してある。 交通量も多いところです。排気ガス・衝突等により破損も激…

甘木の郡境石・国境石

甘木歴史資料館の前にある郡境石・国境石 北 夜須郡 郡境石 従是 南 下座郡 従是 北 筑前国 国境石 従是 南 筑後国 と書いてある。 郡境石は元々、朝倉市水町(朝倉市役所南300m)のところにあったもので、 黒田藩と秋月黒田藩のさかいに、あったものらしい…

冷水峠の郡境石

旧冷水峠にある郡境石。 従是 東穂波郡 従是 西御笠郡 と書いてある。 冷水峠は長崎街道の一番の難所であったらしい。 そのために、夜道の峠越えを避けて、早朝から出発出来る様に 前後に山家宿・内野宿といった宿場町が栄えたというわけかな? 郡境石から内…

筑前町の郡境石

朝倉郡筑前町(旧夜須町)の日田街道沿いにある郡境石。 西 御笠郡 従是 東 夜須郡 と書いてある。 御笠郡・夜須郡は、明治27年の郡制改革により、筑紫郡・朝倉郡となった。 現在は、筑紫野市大字天山と朝倉郡筑前町大字二タとなっている。

久留米市にある郡界標

久留米市山川町、県道151号沿いにある郡界標。 東 山本郡 分界 西 御井郡 と書いてある。昔から動かされていないと言うことなので、 200年程前からここにあるわけかな?

石櫃追分

筑前町(旧夜須町)にある追分石。 日田街道と薩摩街道の分岐点だった所。 次のように刻んである。 右 肥後薩摩道 左 豊後秋月日田甘木道

郡境石・・・

久留米市田主丸町・・・みのう連山沿いの道 ちらりと「郡境石」の案内板を見つけた。 今まで気づかなかった。 東 生葉郡 西 竹野郡 石に刻まれている。 この道は古い道なんだなぁ。