#歴史

長岩城史跡案内所(41)-1

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 9月24日に開催されたJRウオークや、問注所氏の流れをくむ平川家に伝わる“平川文書”、 長岩城跡の案内看板の設置の話など、約2時間程話を伺ってきました。 浮羽でのJRウオークは数年前より土曜日開催に…

長岩城史跡案内所(40)-2

平川館長から伺ったところによると、問注所氏に関する文章は、 血縁関係にある四家に分け持たれているそうです。 うきは市吉井町 川原正人氏所蔵“問注所文書”、うきは市吉井町 松田大策氏所蔵“問注所文書”、 柳川市 町野氏所蔵 “町野文書”、それと平川家所持…

長岩城史跡案内所(40)-1

昨日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 9月24日に開催されるJRウオーク (http://www.jrwalking.com/img/pdf/detail/2011autumn_33.pdf)や 問注所氏の流れをくむ平川家に伝わる“平川文書” 9月18日~9月23日まで開催されている“バサロ祭”…

長岩城史跡案内所(39)-3(最終回)

つづら棚田交流センター・長岩城を廻った後、問注所氏長岩城史跡案内所へ戻ってきました。 そこで館長と話たことは、長岩城を舞台にした、地方史ネタのドラマが作られないかということでした。 今年の2月26日に放映されたドラマ「遺恨あり 明治十三年 最後の…

長岩城史跡案内所(39)-2

平川館長は先日、城跡前に看板を設置されました。 10数年前には城跡前に案内板があったのだそうですが、いつの間にか紛失してしまい、 現在に至っているそうです。 本来は市が動いて設置するべきものですが、様々なしがらみがあるそうで放置されているのだ…

長岩城史跡案内所(39)-1

先日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 約1時間程、つづら棚田交流センターの話や、 長岩城前に設置された看板などについて、話を伺ってきました。 つづら棚田交流センターに平川館長と一緒に伺ってみると、 一組の宿泊客がおられ、葛篭地区の…

東郷神社 ③(最終回)

“宝物殿”は以前、盗難があったため社務所に声をかけてから開けてもらいます。 展示品の中には、“連合艦隊解散の辞”“ロジェスト・ウインスキー海軍中将の写真”などもあります。 秋山参謀の起案といわれている“連合艦隊解散の辞”は、 この文章を読んだアメリカ…

東郷神社 ②

東郷神社の“宝物殿”には、日露戦争における連合艦隊の旗艦であった、 戦艦“三笠”の模型・砲弾・主砲・探照灯などが展示されています。 戦艦“三笠”は東郷平八郎司令長官が座乗して 1905年当時 無敵といわれたロシア バルチック艦隊を破った日本海海戦の先…

東郷神社 ①

恋の浦海岸を過ぎて山頂方面へ1km程進むと、“東郷神社”と“宝物殿”があります。 この“東郷神社”は1905年5月27日、 日露戦争の日本海海戦でロシア バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎元帥を祭ってあります。 日本全国にこの“東郷神社”というものは沢山…

長岩城史跡案内所(38)-2

先日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてから数日後に、 平川館長より手紙がきて、“北方領土は日本固有の領土である”という事が、 掲載された新聞記事を頂きました。 この記事を読むと、日本政府の弱腰外交に憤りをかんじてきます。 北方4島問題・尖閣諸島…

長岩城史跡案内所(38)-1

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 約1時間程、姫治小学校の校歌をCD化された話や、 以前、問注所氏長岩城史跡案内所を訪問してきた、車好きの来館者の方の話し、 http://minkara.carview.co.jp/userid/246282/blog/19839450/ つづら棚田交…

鹿児島探訪 ⑥

鹿児島市を後にして、車は一路南へ、知覧を目指して出発しました。 約1時間程で南九州市知覧町に到着すると、沢山の茶畑が私達を出迎えてくれました。 知覧は、お茶と特攻隊基地・武家屋敷で有名な所です。 因みに、鹿児島県のお茶の面積・生産量は、静岡県…

鹿児島探訪 ⑤

西郷隆盛終焉之地史跡を後にして、 R3方面へ暫く進んだ、鹿児島県歴史資料センター黎明館 の敷地内には、 “天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)像”がありました。 この像はまだ新しいもののようでしたので、 少し調べてみると、2010年12月19日に建立されたも…

鹿児島探訪 ④

薩摩義士碑を後にして、更に北東へ200m程進むとそこには“西郷隆盛終焉之地史跡”があります。 ここは、1877年(明治10年) 9月24日 西郷隆盛が自刃したところです。 明治新政府軍より追い詰められ、城山南州洞窟を出た後銃弾に倒れ自刃したことで…

鹿児島探訪 ③

鶴丸城を後にして、更に北東へ10分程進むとそこには“薩摩義士碑”がありました。 これは、1755年(宝暦5年) 徳川幕府の命により、 薩摩藩が、木曽川治水工事を行った際に、犠牲になった藩士達の慰霊碑です。 この出来事は、以前NHKで放送されていた“…

鹿児島探訪 ②

照国神社には島津斉彬公,その隣の公園には島津忠義公の像が鎮座されています。 とても威厳のある立派な銅像です。 そこより、200m程行った所には鶴丸城がありました。 現在は、鹿児島県立図書館や資料館として利用されているようですが、 石垣は当時のま…

鹿児島探訪 ①

4月16日(土)・17日(日)親類の結婚式で鹿児島へ行ってきました。 宿泊先は鹿児島市の中心部天文館近くにある、 “吹上荘”という立派な観光ホテルでした。 ホテルの周辺の散策と知覧の観光を、数回に分けて紹介します。 写真は、照国神社の大鳥居です。

流川の桜並木 2011

昨年・一昨年に引き続き、今年もうきは市流川の桜並木へ行ってきました。 http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/51739330.html http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/60652068.html 昨日は、日和も良く絶好の花見日よりでした。 やや散り初めといった感じの…

肥前の菓子 シュガーロード長崎街道を行く

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により被災された皆様には、 心よりお見舞い申し上げます。皆様の安全と1日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。 以前紹介したシュガーロードが、http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/61229956.html 大和ハウスの…

長岩城史跡案内所(37)

本日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 約1時間程、姫治小学校の校歌をCD化する話や、 平川館長が卒業された姫治小学校の前身の新川小学校の同窓会の話し、 城跡の事などについて話を伺ってきました。 校歌のCD化の件は、終業式で姫治小学校の…

長岩城史跡案内所(36)

先日、問注所氏長岩城史跡案内所を訪れてきました。 約1時間程、城跡の事などについて、話を伺ってきました。 画像は“福岡県の城郭”より長岩城の縄張り図と、 長岩城の名前が校歌に出てくる、姫治小学校の校歌です。 (尚、現在の校歌は歌詞が少し変更されて…

長岩城史跡案内所(35)-4(最終回)

長岩城史跡案内所を訪れた後、吉井町にある中華料理店に行きました。 そこは、‘まぁぼや’という麻婆豆腐の専門店で、“麻婆豆腐” “坦々麺” “杏仁豆腐” などのメニューのみで営業されています。 二年程前にオープンして、子供から薦められ行きだしました店です…

長岩城史跡案内所(35)-3

戦国時代、豊前・豊後を治めていた大友氏は 元々相模の国の出身であったそうです。 鎌倉時代、源頼朝が平家の息の掛かる地域の周辺に 幕府の信頼がおける武将達を、赴任させるために下向させていったそうです。 大友氏も問注所氏も元々は、地元の出身ではな…

長岩城史跡案内所(35)-2

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。 一昨年の暮れより平川館長は、三善康信(みよしやすのぶ)が鎌倉幕府より賜った 15ヶ村300町歩の村図の作成をされていました。 その15ヶ村とは、田篭、新川、朝田、小坂、流川、溝尻、…

長岩城史跡案内所(35)-1

先日、問注所長岩城史跡案内所の、平川館長の元を訪れた時に伺ったことを報告いたします。 三島義教氏が出版された、京都から越後に行った三善氏についての本の話や、 小郡からバスで訪れられた歴史研究会の方々の話など、 約一時間に渡って伺いました。 数…

延寿寺曽根の櫨並木

櫨は1645年、中国船が桜島に漂着し、 黄櫨及び搾蝋器を伝えたのに始まり、 この後九州各藩は、競って櫨の栽培に力を入れていきました。 久留米藩も品種改良した“伊吉櫨”を作り出したり、 普及を奨励し、この地方の主要産物となり、米についで藩の主力商品と…

長岩城史跡案内所(34)-4(最終回)

頂いた資料によると、三善家の名前の由来は、 三っの善事に基づくところからきているらしいのです。 頂いた資料を載せておきます。

長岩城史跡案内所(34)-3

毎年、8月初旬にうきは市小坂の勝楽寺にて、問注所家の法要が行われています。 問注所家・平川家・町野家の方々が参列されています。 私達も夫婦で、二年前にお経・お斎(おとき)と参加させて頂きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/42747724.html…

長岩城史跡案内所(34)-2

長岩城史跡案内所から50m程の所に、御地蔵様と猿田彦大神が祭って在ります。 その御地蔵様の地元に残っている謂れは、 “戦国時代の終りの頃、戦火を逃れてここにたどり着いた母子がいました。 しかし、母親に連れられていた子供がここに着くと亡くなってし…

長岩城史跡案内所(34)-1

昨日、問注所長岩城史跡案内所の、平川館長の元を訪れてきました。 福岡市より来館された、三善さんの話などを中心に、約1時間半程、話を伺ってきました。 伺った内容を数回に分けて紹介します。 今回資料館は、~11月5日まで開館予定です。 画像は、松…