延寿寺曽根の櫨並木

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櫨は1645年、中国船が桜島に漂着し、

黄櫨及び搾蝋器を伝えたのに始まり、

この後九州各藩は、競って櫨の栽培に力を入れていきました。

久留米藩も品種改良した“伊吉櫨”を作り出したり、

普及を奨励し、この地方の主要産物となり、米についで藩の主力商品となっていくのです。

その為、農家の人々は空き地は勿論、堤防等に競って櫨を植え、

耳納連山から北流する川の曽根には、どこもかしこも植栽されていき、

櫨並木の観を呈してきました。 http://blogs.yahoo.co.jp/watamushi5/60652068.html

曽根とは、坂のある長い堤防道のことで、ここの延寿寺曽根・久留米の柳坂曽根などがあります。

この櫨並木は江戸中期以降から昭和初期に至るまで、

吉井銀(よしいがね)の資金を生み出し、

重厚な白壁の町並みを形成していく資金となっていったそうです。

延寿寺曽根の櫨並木は、~12月5日まで夜間はライト・アップされています。

http://www.city.ukiha.fukuoka.jp/hp/page000001400/hpg000001381.htm