浮羽の山中にも空襲警報

実家で聞いた父の昔の話


戦争中、学校へ行く途中に空襲警報が鳴ると、身をかがめて引き返した。

「山にも空襲はあったんですか?」と夫が尋ねると、「空襲はない」とのこと。空襲はなかったけれど、空中戦を見たとのこと。

大刀洗の飛行場が攻撃された時には、浮羽の山にいても分かったということだった。

学校の校庭には、沢山の機械が持ち込まれて作動していたという。

せっかく学校へ入学したのに、終戦まで勉強どころではなかったそうだ。




実家から帰宅して、録画しておいた「今日感テレビ」の戦争特集を見た。この特集では、西鉄筑紫駅が機銃掃射を受けたことについて紹介されていた。

戦地へ行った大人の代わりに中学生が電車を運転していた。昭和20年8月8日、西鉄筑紫駅アメリカの飛行機から銃撃された。駅のホームの下に隠れた運転手は弾に当たらず助かった。ホームに上がり電車に入ると、そこは血の海。甘酸っぱい臭いがしていた。トラックで犠牲者の遺体は運ばれた。犠牲者は64人。

この番組を見てから、父から聞いた戦時中の話を振り返ると、空襲警報を聞いて身をかがめて目立たないようにしたという行動に納得した。

子どもであっても、撃たれたかもしれないからだ。

西鉄電車に乗っていた人たちは、赤ちゃんを抱っこした若い女性や戦争へ召集されていない子どもであったり、お年寄りだったり・・・。


アメリカの飛行機が子どもだった当時の父を見つけたら撃たれたのかもしれないと思った。


・・・わたむし(妻)