蒙古襲来と神風

8月19日、「蒙古襲来と神風」というタイトルの講演を聞きに行った。

場所は、九州大学筑紫キャンパス 筑紫ホール

放送大学が服部英雄先生を招いた。

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まず、九州大学筑紫キャンパスはどこなのか知らなかった。

夫の運転で連れて行ってもらったから、漠然と、JR大野城駅の近くと記憶している。

福岡県立春日高校の隣に門があり、入って行くと美しい並木があり、

そこを通り抜けて、さらに敷地内に入って行った。

筑紫ホールがどこなのか分からないまま、前を行く車について行った。

放送大学 福岡学習センター」の看板が見え、「筑紫ホール」の案内板も見えて、

やっと位置関係が分かった。

知らない所に行くと、とても疲れるようで、

筑紫ホールで受付をして席に着くと、講演を聞く前に何とも言いようのない体の重みを感じた。

とにかく頭が重い。

が、せっかくの講演だから一生懸命に話を聞き、

あと少しで終わるというとき、「ものすごく体がきつい」と夫に知らせ、

途中退席した。


帰りの車中で、講演で印象に残ったことについて夫と会話した。


服部先生は、定説を疑って、様々な資料を検討していた。

私が印象に残っていることの一つは、神風は吹いたのかという疑問を持った服部先生の話。

戦前、戦中、子どもたちは神風が吹くから日本は戦争に負けないと思いこんでいたそうだ。

しかし、そもそも、神風が吹いて日本が勝ったのか?

服部先生の話によると、「神風」という言葉は古い資料にはない。

筥崎宮の記録には、神の使いが蒙古を追いやったというファンタジーのような記述があったという。

「蒙古軍」はそもそも、ひとくくりのモンゴル兵士ではなく、

モンゴル・元の属国になった高麗と南宋からの合同の軍。

朝鮮半島から対馬は見えるから、天候の良い日に対馬を目視して一日で高麗から到達したはずとのこと。

しかし、南宋から、なかなか到着せず高麗軍は志賀島で待った。


なぜ、元は日本を征服しようとしたのかというと、

中国にない物を得るために来たのではないかと言われた。

建築材になる木、火薬の材料になる硫黄を求めていた。

日本が元との交易を拒否したため、戦争になったという。

日本は二回も攻められたんだけど、一度目は、元が南宋と交流する日本を潰すため、

二度目は貿易を拒否されたため。

体調が悪くて、まとまり良く学べていない。


講演では、絵巻きが提示されていた。

日本の武士は、馬に乗り矢を射ようとしている。

蒙古軍は至近距離から複数人が矢を射かけ、鉄はうという爆発する武器を投げる。

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鉄はうが爆発する音に馬が驚いて飛び跳ね、コントロール不能状態になり、武士は危機的な状態になっている。

が、その一方で、

武士の射た矢は、敵兵が身動きできないほどのダメージも与えている。

絵巻には、誰が射たか分かるように描かれていた。

飛び跳ねる馬にしがみついている武士が背負っている矢と敵兵に刺さった矢の矢羽は同じ。

服部先生の話によると、武士が武功をアピールするために作成した絵巻だそうだ。

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「私は、鉄はうの威力で馬から落ちそうな危機を経験しましたが、こんなにも敵にダメージを与えたんですよ」と絵でアピールしているという。

ちなみに、矢は大変高価なものだったそうで、

矢羽は鷹の羽、漆塗り、人によっては名前も書かれていたそうだ。

今の価値でいうと、一本1万円以上。

射られた矢は、矢羽の力で回転し、敵に刺さるだけでなく、ぐりぐりと回転して傷をえぐったという。

とっても痛そうだし、一本で致命傷を負いそうだ。

絵巻中の蒙古軍は、背中を射られた者、目を射られた者などが描かれていて、

流れる血も大量だ。死んだのだろうと想像させる絵だ。


他にもいろいろと話があったが、体調が悪くて肝心の神風について、

頭に残っていないのが残念。

服部英雄先生が書いた本を探して読みたいと思った。


・・・わたむし(妻)