透析中止で44歳女性死亡というニュース

東京都の福生病院で、44歳の女性が透析を中止し死亡したというニュースを見た。

女性が自ら中止を決めたというが、気持ちが揺り戻され透析の再開を願ったが、

再開されることなく亡くなったそうだ。


透析を止めるかどうかは、すなわち、生きるか死ぬかの選択。

そんな大事なことを自分で決められるのかと疑問に思う。

透析治療が辛くて、気持ちが沈みこんでいるときに選択しなきゃならないのか。

精神科医のサポートもなく、選択を迫られるのか。

疑問が膨らむ。


福生病院であったことは、他の病院でも起こっているだろうと

ネットで検索したら、

立秋田病院で、54歳の男性が透析中止を申し出て、その後透析をせず、亡くなったという内容が書かれた論文が見つかった。

この男性は、糖尿病の治療に取り組むのに消極的だったそうで、糖尿病性腎症になり透析治療を受けた。

が、自分から中止を申し出て、家族からの説得にも応じなかったという。

精神科の治療も拒否し亡くなった。


透析中止の意志表示は、「もう生きていたくない。死にたい」というものだから、

その意思表示に沿って透析を中止するのは、

自殺ほう助に当たるのではないかと思った。


医師は、生きる手助けをしてくれる人だと思っていたが、

死ぬ手助けもするのかと、ちょっと怖くなった。

移植以外に治療法がない腎臓の病気を患っている人に対し、

生かそうとしない医師がいて、

病院で、少なくない人たちが亡くなっているという事実がある。

怖い。

・・・わたむし(妻)