長谷川豊

フリーアナウンサー・長谷川豊さんは、以前、糖尿病や透析治療をしている人について、

不摂生で病気になったと批判し、自費で治療すべきだと言った。


怖い発言だと思った。

確かに、健康保険税を支払っていても、その本人は全くの病気知らずで、

病院に行かないというのはあるだろう。

その本人が、長谷川豊さんなのかと思ったが、

健康で病気知らずの人が、病院通いしなくてはならない人を

「不摂生の末に病気になった自業自得の人」と思っているとしたら恐ろしい。

そんな人が大勢いて、健康保険の仕組みそのものを不要と言い出したら、

とても困る。


最近のニュースで、長谷川豊さんが差別発言をしたというニュースを見て、

「またか」と思ったと同時に、

参議院議員選挙に立候補しようとしていると知り、

恐ろしいことだと思った。


健康保険の仕組みを壊すかもしれない人が国会議員になるかもしれない。

怖いことだ。


私は50代になって、健康保険の有難みをしみじみ感じている。

健康診断でいくつか異常が見つかったからだ。


今の自分は、確かに社会の仕組みに助けてもらっている。

自分を支えてくれている健康保険がなくなったら、

多分早死にするだろう。


つぶれたネジは捨てれは良いというような社会になってほしくない。


長谷川さんの部落差別発言について、ニュースでは、あまり多くとりあげられていなかった。

深く解説してほしい問題だと私は思う。

長年、部落差別問題は国が取り組むべき問題としていて、

いろいろと改善されてきたと信じていた。

就職活動で、本人の能力が十分に評価されるようになってきたのは、

差別撤廃に取り組んだ成果だ。

職業差別も減ってきたと私は信じている。


穢れが多いと書く「穢多」、人に非ずと書く「非人」という身分が江戸時代にあったとされ、

今もその身分が代々受け継がれているかのように思う人が今もいるのかと、

長谷川さんの差別発言についてのニュースを見て、信じらない思いになった。


「穢多」「非人」と他人を差別していた人が、自分の家系は被差別階層だったと知り自殺したという話を

何十年も前に聞いた。

差別意識が強ければ、結局、大切な自分をも差別してしまうだろう。

なので、差別なんかなくなった方が良いに決まっている。


戦国時代の武士たちは合戦で多くの人を殺した。人を殺すことは穢れ多いことだ。

しかし、元は武士だ、大名だという家系を穢れ多いとは言わない。

血が穢れを意味するならば、合戦をさせていた人も穢れているはずだ。

なのに、幕府も大名も公家も、穢れているとは言われない。


やってきたことと、言われていることが大きく食い違っている。

合戦・戦争を引き起こしてきた人たちが、穢れ多いはずだ。

しかし、その人たちが身分を決め、穢れ多いとする階層を決めたんじゃないの?


長谷川さんは政治家になろうとしているそうだが、

政治家たちの中には、同様に差別的な考えの人もいるんだろうか?

長谷川さんは参議院選挙に立候補するんだろうか?

立候補するならば、どの政党、どの関係と連携して立候補するんだろう?

長谷川さんのブログには、維新の会から立候補する話が載っている。

話は流れたと言われているが・・・・。


皇室は尊いと言われている。

「令和 おめでとう」と

みんなで祝った。

こんなときに、酷い部落差別が起こった。


尊い」「尊くない」

「穢れていない」「穢れている」

などと人々を色分けしていったら、

「尊くて穢れていない」と色分けされる人と

「尊くなくて穢れている」とされる人が出てくる。

本当は、色分けなんてできないはずなのに、

序列をつけて差別が起きる。


天皇陛下が代替わりして祝っている今、

本当は、部落差別問題についても考えなくちゃならないと思う。


誰かを差別して踏んでおいて、そして「令和おめでとう」と言うなんて

悲しいから。

・・・わたむし(妻)