事件を過去のことにするために手記を出したのか?
書いて気持ちの整理をした文章を発表するということは、自分の犯した罪・事件を過去の出来事にするということなんじゃないかなと思った。「絶歌」という手記を出して事件に区切りをつけるのかも。
彼を、シュッとしたイケメンだと書かれたネットの書き込みもあった。恋人がいるらしいという噂も書きこまれている。
事件から18年間、再犯せずに暮らしていることに大きな意義があると思うのだけど、本を書かずにいられなかったことをとても残念に思う。衝動を抑える方法はなかったのだろうか?
出版すれば被害者遺族を再び傷つけてしまうと分かってたはずだから、本を出したいと出版社に相談する前に、カウンセラーに相談したら良かったのにと思う。
出版差し止めを願う被害者遺族の姿をニュースで見て、私はひどく動揺した。被害者が繰り返し傷つけられる様子を見たからだ。傷が傷痕になっても、触れば痛いはずだ。それを通り越して、被害者遺族は心の傷をこじ開けられた。元少年Aは、再び取り返しのつかないことをしたのだと思う。
私は、ネット掲示板で起きた嫌がらせを思い出す。嫌がらせをした参加者は、しばらく居なくなっていたが、再び参加し始めた。嫌がらせの被害者はその人に償いを求めた。が、多くの参加者は償わせる必要はない、忘れてやれと言った。過去に嫌がらせをした人は、いつまでも罪人扱いするなと怒った。
被害者の痛みは、軽い扱いを受けるのが、この世の常なのかもしれない。
もしも、利益追求が目的でないのなら、「絶歌」という手記を増刷しなくても良いはず。
・・・わたむし(妻)