きのこ雲の下で何が起きていたか


録画しておいたNHKのドキュメンタリー番組を見た。8月6日の原爆投下後に撮影された二枚の写真に写っている人の証言を元に、そのとき起きていたことが映像化された。

戦時下の日本では、戦争の悲惨さを伝える写真の撮影は禁止されていたそうだが、撮影した人は伝えるべきことではないかと葛藤し撮影したという。

この番組で印象に残っているのは、負傷した人を病院へ運ぶ際、戦争で戦える男性を優先したという再現場面だ。女の子が、トラックに乗り込もうとしたら怒鳴られて追い払われた。女の子は泣きながら火が燃える方向へと走り去った。

戦争に役立つかどうかという価値観で選別され、戦えない女性や子供は見捨てられたのだと知った。


写真から、皮膚が剥がれて垂れ下がっている人の様子が分かった。医師が、この原爆特有の火傷について解説した。皮膚の深いところでひどい炎症が起きて、皮膚が剥がれるのだと知った。火傷を負ったら体の水分が急激に失われ、動けなくなって座り込んだり横になったりしていた。もう死を待つばかり。この状況下にいた証言者は、自分の死を予感したそうだ。

写真に写っている人の中には、戦後を生き延びて子や孫がいる平穏な生活をしていても、差別を恐れて証言をしなかったそうだ。


私が番組で見た二枚の写真は、日本人によって撮影され、GHQに没収された。アメリカは原爆の惨状を隠したかったという。7年間、写真は隠されたために、アメリカ国民は原爆が引き起こす状況を知る機会を持つことができず、その7年間に核兵器による武装が進んだという。

番組を見終わったあと、思い浮かぶのは、怒鳴られて泣きながら走り去る女の子の様子だ。

原爆で子どもがたくさん亡くなったのは、ただ弱いからじゃなく、大事にされなかったからだ。


・・・わたむし(妻)