美術館や博物館で見た古い物

福岡市博物館③

間取り図の室名の記載の向きが、マチマチなのは何故か?と思っていたが、 室名の記載してある向きの、奥側が上座という事であるらしい。 それには、きちんと意味が在ったわけだ。

福岡市博物館②

江戸時代の街づくりは、軍事的性格を第一に、 考えられてのものであった。 頂いた資料を載せておく。

福岡市博物館①

先日、福岡市早良区の福岡市博物館へ行ってきた。 http://museum.city.fukuoka.jp/ 目的は、常設展の“江戸時代の福岡住宅事情”であった。 今まで、博物館・美術館では、特別展ばかりを、見て廻っていたが、 常設展は\200と安い上、結構楽しめる。 隣接す…

元寇資料館⑦(最終回)

元寇資料館に隣接する、東公園にある亀山上皇銅像。 亀山上皇は、“我が身をもって国難に代わらん”と、 “敵国降伏”を祈願された。 最後に、元寇資料が見られる箇所を、ピックアップしておく。 ★兜 → 愛媛県大山祗神社 ...... 東京都 穴八幡宮 ..... 鳥取県渡…

元寇資料館⑥

蒙古襲来絵図。 文永の役の時、博多を焼き尽くした元軍は、内地の太宰府近くまで、進軍して行った。 しかし、そこには元軍の兵士の討ち取られた首が、水城の堤防にさらされてあった。 そのことと、見知らぬ土地で夜を向かえ、夜襲を恐れた為、撤退していった…

元寇資料館⑤

矢田一嘯(やだいっしょう)の‘蒙古襲来絵図’。 福岡県立美術館にて、H17.2.5~3.13の期間に出展された。 その時の出品は、元寇資料館や本佛寺からの物が多かったようだ。 これらの作品は、明治42年頃に書かれたものであるが、 今、見てきたかのように、生々し…

元寇資料館④

元軍の兜と鐙(あぶみ)。 鐙とは、鞍(くら)の付属品の一部で、乗馬した時、足先を引っ掛けるところ。 兜の遺品例は鎧よりも多い。当時、討ち取った相手の甲冑を、武功の証として 各地の寺社に奉納する事が流行していた。 しかし、収納場所の確保や保存のし易…

元寇資料館③

写真は、元軍兵士の戎衣(軍服)と音で軍勢を指揮した銅鑼。 布裏の薄い鉄板で身を守る戎衣は、鎌倉武士の大鎧に比べて、 運動性に優れ集団戦法向きであった。 鎌倉武士が、一騎討ちを基本としていたのに対して、 蒙古軍は集団戦法。 一騎で出て行ったところを…

元寇資料館②

文永の役(1274)・弘安の役(1281)の資料が展示してある。 学生時代には文永の役の年号を、‘とうになし元の船影’と語呂合わせで覚えたなぁ・・・ 写真は元軍壷と河口杭である。 河口杭は弘安の役の際、元船の進入を防ぐ為に、 河口に打ち込まれたものであると…

元寇資料館①

福岡市博多区東公園の北側にある。 この資料館は、それまで各地に散逸していた元寇の資料を、収集して保存する為に、S61年に造られた。 その当時の武器や鎧兜、その後に書かれた元寇絵などの現物が展示してある。 6月までは土・日・祭日の開館であったが、7…

福岡市立美術館 出光コレクション

印象深かったもの・・・本物は撮れないので図録を写した。