2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

筑後川なんでも発見団流域の歴史を知ろう「江戸時代」②

今日、くるめウスであった、郷土史講座に参加してきた。 参加者は約20名程であったが、中身は深く、郷土史のすごく為になるものであった。 時代は江戸時代の後編であったが、日田・浮羽・柳川・佐賀と筑後川流域の歴史が、 興味深く語られていた。 “柳川3…

松尾城(田籠城)⑤

山頂部分は、三角点を接地する為、杉林が、一部伐採されたようである。 しかし、その後再度植林されて、現状に収まっている様である。 写真は、山頂にそびえたつ枯れた杉の木である。

筑後川なんでも発見団流域の歴史を知ろう「江戸時代」①

歴史講座の紹介をします。 1月25日(日)午後2時~4時、久留米市新合川の筑後川発見館「くるめウス」。 スライドを交えて筑後川流域の、昔の様子が語られる。 入場は無料です。問い合わせ先は0942-45-5042。 初めて参加しますが、問注所氏・…

松尾城(田籠城)④

山頂周辺は城があった為か、なだらかな台形状になっているようである。 城跡周辺には、空堀・竪堀・土塁・曲輪などの城郭遺構が、 何か残っているはずだが、詳しく調査される事もなく、 放置されているのは、実に惜しい事である。 写真は、山頂にある三角点…

松尾城(田籠城)③

天正11年(1583年)頃、問注所統景(もんちゅうじょすべかげ)が 反大友の連合軍(星野・秋月・草野)を迎え、この天険を利用して 数年間、戦い抜いた。 写真は山頂から望む、長岩城と遠景である。 植林がなければ、つづら方面の眺めは最高のようである。 当…

松尾城(田籠城)②

松尾城(田籠城)は、問注所氏長岩城の出城で、 本丸、東西30m南北9m、 二の丸、東西32m南北20mの規模であった。 写真は、登山口と、山道の途中の状況である。

松尾城(田籠城)①

年末年始の休暇を利用して、松尾城跡へ行って来た。 道なき道を突き進み、登山口から山頂までは、約20分。 しかし、方角がはっきりしていたので、考えていたよりは苦労しなかった。 これから、順次紹介していく。 写真は、登山口近くの駐車場と、登山口付…

さくらと陣跡ウォーク⑨(最終回)

雨模様の為、ゴールは道の駅桃山天下市から、唐津市役所鎮西支所に変更になった。 昼食は、サザエのつぼ焼き・つみれ鍋・おにぎりが振舞われ、非常に美味しいものであった。 又、抽選会では佐賀牛・ホテルの宿泊券・野菜セット等が続々と、当選していった。 …

さくらと陣跡ウォーク⑧

韓国の人々にとって、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)は、侵略戦争である。 そのことを、地域の方々・主催者の方々も、十分配慮しており、 ウォークラリーや祭りの時にも、華美になりすぎぬよう配慮してある。 のぼりをあげる事などを、遠慮してあると学芸員…

さくらと陣跡ウォーク⑦

1591年に始まった築城工事は、西国大名の分担により、 5ヶ月程度で終了した。 写真は城内最高所で標高89mにある“天主台跡”と、 当時の姿、そのままに残っている石垣である。

さくらと陣跡ウォーク⑥

秀吉の側室広沢(ひろさわ)の局を祀る広沢寺(こうたくじ)。 文禄・慶長の役ゆかりの天然記念物大ソテツもある。

さくらと陣跡ウォーク⑤

名護屋城は総面積17万㎡で、当時としては 大坂城に次ぐ規模であったと言う事である。 写真は石垣修理を行い、当時の姿に復元された山里口である。

さくらと陣跡ウォーク④

名護屋城の周囲には、当時の地名や太閤ゆかりの史跡も多い。 今も、“茜屋町”と言う地名や、“伊達政宗陣屋前”と言う信号があったりもする。 写真は、太閤が植えたと言われている桜と、太閤井戸である。