社交不安症のための練習

2年前に録画した番組を、

残すか残さないか選びながら整理した。

見てなかった有働さん司会の「あさイチ」があった。

社交不安についての特集だった。


多分、自分に必要だと思って録画したはず。

そうならば、見てから消去しよう。

ふむふむ・・・。やはり私に必要な内容だったぞ。

かなり頑張らないと人と付き合えない私にとって参考になる内容だった。


この特集で、社交不安の人は人の視線が気になるものだと言っていた。

そうだよね・・と私は共感した。

細かく言うと違うが、視線が気になるというのは私と社交不安との共通項だ。

私はあがり症で、ピアノの発表会では尋常でないほどに手が震える。

注目されていると感じると、失敗してはいけないと意識して震えるようだ。

間違いを笑われるのではないか、責められるのではないかという怖さもある。

間違いも含めて暖かく見守ってくれる人の存在を忘れてしまう。

責めや嘲笑といった人からの攻撃を恐れてしまう。

だいたい出来ていても間違いを焦点化しあげつらう人を恐れているとも言える。

ピアノの発表会で、発表者の間違いを指摘するのは、たいてい弾かない人だ。

弾く人の方が優しく見てくれる。

先生の話によると、習っていても発表会を避ける人が多いそうで、

私が年に2回、発表会に出ているのはとても良いことだという。


批判されるのが怖くて、本当は発表会は怖いが、

発表会は私にとって大切な社会との接点。

なので、怖さを我慢している。

とにかく、人間が怖い。

怖くない人をも怖がってしまうなあと反省している。


人間が怖いとはっきり意識するようになったのは仕事がきっかけだ。

若かった私は無防備だった。

初任者研修で、あるゲームがあった。

ゲームでは、複数回、笛が吹かれ、その回数を数えて、

4回吹かれたら4人組になって座り、5回吹かれれたら5人組になって座る。

組を作れず余ったら座れない。

大勢の中で一人だけ立ったままの「ひとりぼっち」になる。

私はこのゲームで、連続して「余り」になった。

研修の講師は、ゲームを通して人を理解することができると言い、

ひとりぼっち状態を連続して経験した私がいるのに、

なかなか組を作れないような人は問題のある人である場合が多いと言った。

悪いことに、その講師は私の上司にあたる人だった。

「問題のある人間」とレッテルを貼られた上に、

毎日、顔を合わせるのは辛かった。


今思いかえすと、ゲームでうまくやれなかっただけで「問題あり」と言うのは乱暴だと思う。

しかし、組を作れなくて余りものになったとき、周りから受けた視線の痛さはなくならない気がする。

失敗したときに受ける視線は痛いし、

「問題あり」と言われたのも思い出す。


ははあ・・、どうやら私は元上司をかなり恨んでいるようだ。

元上司にとっては些細なことだろう。

忘れてるだろう。


このことだけで人の視線が怖くなったのではないかもしれん。

褒められることはなくダメ出しばかりだった研修も良くなかったと思う。

批判、ダメ出し、嘲笑をどのように受け止めたら良いかと対策しておく必要があったのに、

無防備だったからダメージを受けてしまったんだ。


さて、2年前に録画した「あさイチ」では、

就活のつまづきで社交不安になった若い女性が紹介されていた。

どんなに頑張っても良い評価を受けることはないと思うようになり、

人との付き合いが辛くなったという女性が、メガネを新しく買い替える取り組みが紹介されていた。

女性はメガネ店へ行く前に、精神科医とメガネ店でのやり取りを練習した。

実際にメガネ店へ行ってみると、緊張しながらも上手く行動できていた。


次に、人を前にして緊張しないための練習が紹介されていた。

番組のゲストが有働アナウンサーと向かい合って座った。

ゲストは緊張して視線が泳いでいたが、有働アナウンサーを観察するようにアドバイスされると、

「髪が以外とエアリーだ」「つけまつげの威力はスゴイ」などと言った。

そのとき、目の泳ぎはなくなり、落ち着いて顔を見ることができていた。

つまり、自分が見られていると思うと緊張し、

自分が相手を見ていると意識すれば緊張しないということだ。

「見られている」を「見ている」にシフトすれば緊張が減るのだ。


対面での練習が難しければ、

顔写真でも代用できるそうだ。

ポスターのような大きな顔写真があれば練習できるなあと思った。


ちゃんと録画した番組を見て、削除した。

内容を忘れないように書いておく。

・・・わたむし(妻)