「障害者、手帳主義に疑問」という記事

9月17日の西日本新聞に「障害者、手帳主義に疑問」というタイトルの記事があった。

心理的な抵抗から手帳を申請しない人や障害の軽い人が障害者雇用の対象外になってしまうのが問題と、

障害者団体や識者から声が上がっているそうだ。

この記事を読んで、

障害はあるが障害者手帳を申請したくない人の気持ちは分かった。

高校生の頃からうつ状態で30代後半の女性は、親が「結婚の支障になる」と反対しているし、

障害について職場で打ち明けて不快な思いをしたこともあって障害者手帳を申請していないという。


確かに、うつ状態の人を「面倒な奴」と言って嫌う人はいるし、

病気について打ち明けたとして、好意的な反応があるは限らない。

うつ状態を「使えない・使いづらい」と思われて、結局、居づらくなるかもと怖さ感じるのは分かる。

家族からも、秘密にするようにと言われるなんて、

孤立感、半端ないなあ。

身近な家族でさえ障害に理解がなく差別的なのに、

世間に公表するかのような手帳申請ができるか・・・という内容だなあと思った。


ってことは、障害をオープンにしたくない人が多いのだから、

障害者雇用の推進も、数の把握も難しいのかなあと思った。

見た目で障害が分かる身体障害についてのみ数が把握されるという歪みが生じるのは仕方がないだろう。


見えづらい困難さを形に表すのが障害者手帳だとしても、

手帳を持つことで失うものが多ければ、

困難さを見えないままにしておきたいという気持ちは分かったような気がする。

手帳のコピーを提出しなければならないとなると、

事業者が手帳申請を強要するような事態も起こり得るのかもしれん。

それは、本人の意志でやることだから、強要はマズいよね。


障害者手帳を持たない人が障害者としてカウントされていると聞いて、

手帳を持つ障害者が差別されていると思ったが、

軽微な障害を持つ人にとって、障害の公表を迫られるという別の問題も浮上していたのだなあ。


世の中から差別が減っていけば、いいのに。

差別がなければ、実情をありのままに話せるのに。

差別があるから、ありのままに話せば

いろいろと失う。


差別はあるものと割り切って障害者手帳を申請し、

交通費のサービスを受けたり、

納税額でのサービスを受けたりして、

得を味わうという手もある。

障害者を嫌う人から距離を置くこともできる。

障害を理由に嫌がらせをする人がいるなら、詳細を記録して訴えることもできる。


手帳を申請してもしなくても、

差別しない人になるのは可能だ。

・・・わたむし(妻)