定期面談せず・・という記事

札幌市西区のマンションで60代の女性が熱中症で亡くなったことについて、

8月3日の西日本新聞の記事を読んだ。


7月末に熱中症で亡くなった60代女性は生活保護を受けていた。

エアコンと扇風機はあったが、電気料金未払いのため送電が止められ、冷房は使えなかった。


ニュースでこのことを知ったとき、

どうにかして救えなかったのかと、やるせない思いになったんだけど、

8月3日の記事を読んで、救えなかった理由の一つが分かった。


亡くなった女性は、3か月に一度、ケースワーカーの面談を受けることになっていたが、

1月30日を最後に定期面談は行われていなかった。

記事に、昨年末に電気料金未払いのため送電が止められたと書かれていた。

ならば、1月30日の面談で、ケースワーカーは送電停止を把握していたはず。

市は「女性から相談があれば、未払い解消に向けて助言できた」としている・・・とも書かれているのだが、

一方で、定期面談が途絶えていて、ケースワーカーの多忙を理由にしている。

送電停止について、本人から相談がなかったから放置したんだけど、

多忙だから放置したことになる。


この記事を読んで、女性の命が救われなかった一因が分かったような気がした。

日本には、法に基づいて生存権を守る仕組みはあるが、

困っている本人が主張しないと見過ごされてしまう場合があるようだ。


ネットには、「働く意志のない人の命を救う必要はない」というような書き込みが多数あった。

救うのは、税金の無駄遣いという理屈があるようだ。

しかし、この日本で全く税金を払っていない人はいない。

あらゆるもの・事柄に消費税がかけられていて、

生きていれば自動的に税を払う仕組みになっている。

全ての人が税を納めている。

だから、命を救う必要はないという意見は的外れだと思った。


生活保護受給は恥ずかしいことだと、杉田水脈議員のブログに書かれていたが、

そんなことを真に受けてしまうと、どんどん差別は広がり、

自分が困ったときに行政に相談しにくくなるだろう。


行政が「助けて欲しい」と言わなければ助けてくれないとしたら、

命はTHE END。


電気料金の滞納を恥ずかしいと思って黙っているうちに、

命はTHE END。


どんな人も、助けて欲しいと相談しやすい世の中になれば良いのに・・と思う。

差別が蔓延すると、相談しにくいから、

差別をなくしてほしい。


・・・わたむし(妻)