シンクに洗い物をためないためには?

シンクに洗い物をためないためには?

簡単、すぐに洗えばいい。


が、めんどうで溜めてしまうという私の駄目さが問題だ。

そんな駄目な私にできることは?

飲食の後に、すぐに洗うこと。


昔、職場の休憩時間にお茶を飲んだら、

各自でマグカップを洗ってカゴにふせた。

洗剤を使わず、水洗いだけだった。


洗剤を濯ぐ手間を省いたら、洗うのは簡単だ。

問題は、キレイな洗い上がりではないことだ。

当時、茶渋がついたカップを平気で使っていた。

私だけでなく、職場のみんなが。


ある日、職場を訪れた人が、

「ここには女はおらんとの?」

と言ったと聞き、

少しショックを受けた。


ぱっとお茶やインスタントコーヒーを飲んで、

ぱっと洗って、ぱっと仕事に戻っていて、

自分が女かどうかなんて意識してなかった。


職場の訪問者は、

女性はカップをピカピカに洗いあげるものと思っていたから、

茶渋のついたカップを見て、

「ここには女はおらんとの」と言ったんだろう。


映画の「オルウェイズ三丁目の夕日」にも、

茶渋のついた湯飲みが映し出される場面があった。

生活の行き届かなさや貧しさを表していると感じた。


シンクに洗い物が溜まっている様子なんてその映画になかったが、

現代の荒んだ暮らしを描くとしたら、茶渋のついたカップだけでなく、

シンクに溜まった汚れた食器も映すだろう。

加えて、ペットボトルや空き缶も山のようにして映すだろう。


「ここには女はおらんとの」と言う人がいたら、

「言う前に洗ってくれ」とカメラ越しに言うだろう。


すると、

「あんたの家やろうが。住んどるもんが洗え」と叱られるだろう。


はいはい。そこで妄想ストップ。

私は、できるだけ洗い物を溜めないよう洗っているぞ。


「本当か?言ってるだけで山のように洗い物やゴミを溜めとっちゃないとね。写真がないから分からん」

架空の読者が私に言う。


はいはい。そこで妄想ストップ。

「俺はちゃんとやっとるし・・・」

私は、なぜか男口調で言う。


「ここには女はおらんとの?」は、

「ここには女の人はいないのですか?」という意味。

昔、職場でぱっとカップを洗って仕事にとりかかっていた私は、

女性でも男性でもない働く者だった。


今でも「ここには女はおらんとの?」という言葉が

言葉として通じる世の中のような気がするが、


洗剤を濯ぐ手間を省く。

茶渋はマイクロファイバーで落ちるので大丈夫。


それに、「ここには女はおらんとの?」と言われたら、

「暴言ですか?」と言い返す。


はい。妄想開始。

「ここには女はおらんとの?」

「私は女ですけど、なにか?」


「洗い物溜めて、それでも女?」

「女ですけど、なにか?」


「仕事もしてない主婦なら、食器ぐらいちゃんと洗ったらどげんね?」

「洗い物が溜まっているシンクを一度見て、それで主婦失格みたいに言うのって、少しの落ち度を見つけて、

全てを否定するような一面的な間違ったものの見方ですよね」


「女だったら、専業主婦だったら、いつもシンクをピカピカにしてて当たり前やろ?」

「当たり前ですか?すみませんね、あなたの当たり前に当てはまらなくて。だからといって、女はおらんとのというような暴言吐いて良いことにはなりませんよ。暴言は止めてください。食器洗いをするのは私なので、できるだけたいへんにならないように工夫してやっていきます。」


・・・わたむし(妻)