どうなる?長岩城史跡案内所

久しぶりに、夫が浮羽町田籠の長岩城史跡案内所へ行き、平川さんに会ってきた。

長岩城史跡案内所を作った平川さんは、近年、長岩城跡に石碑を建てたりするなど活発に活動しているが、

居住地の愛知に墓を建てたそうだ。亡くなった後、史跡案内所をうきは市に寄贈したいそうだが、平川さんの思うようには話が進んでいないという。うきは市は関わらないつもりなのか・・・。

夫は平川さんに、史跡案内所をもらってくれないかと言われたそうだが・・・。まあ、とにかく、平川さんが自分亡き後を心配しているということ。

私は、どうしたらいいんだろう・・・とぼんやりと考えながら、史跡案内所の資料を思い浮かべた。

広いところに、額に入れられた資料が展示されている。見ただけでは意味が分からない。

そうだな・・・。解説が必要だなぁ。

なぜ平川さんがこれらの資料を集めようとしたのかが分かるようにしなくては・・・。


資料の中に、御成敗式目がある。

なぜ御成敗式目を展示しているのか・・・。

それは、平川さんのご先祖である問注所氏が、鎌倉幕府御成敗式目に関わったからだ。

問注所という姓は、鎌倉幕府での役職から来ている。


この話を平川さんから聞いて、歴史の教科書でしか見たことのなかった御成敗式目が自分に近いものに感じられた。

そうだ・・・平川さんが話すような文章で解説をつけることができたらいいんじゃいかなって思う。

小学生が読んで分かるくらいに易しい文章で解説したら・・・。子どもたちの歴史学習に役立つのではないかな・・・。

それにしても、平川さんの心配事を解消するには、やはり、資料館という建物を引き継ぐ人がいなくては・・・。

・・・わたむし(妻)