死刑でいいのか

昨日、電車に乗っている間ぼんやりと風景を眺めていると、ふと、小1の女の子を殺した男性が死刑判決を受けたというニュースを思い出した。

遺族は、命で償ってほしいと言っていたという記事も関連して思い出した。

命を差し出すことが償いになるのか・・・という疑問が湧いた。


命には命をと天秤にかけて、同等の尊いもので償うということか?


江戸時代、殿様が死んだら家臣たちが殉職していたと聞いたことがある。殿を敬う気持ちを死ぬことで表現したのかな?何か尊いことのために命を捧げる。それが殉死なのか・・・。

「償い」のために命を捧げることと殉死は無関係だろうけど、命を差し出すことは同じだと思う。

そう言えば、マヤ、インカなどの文明では、神に願い事をするときに子どもや少女を生贄として神に捧げたり、身分の高い人が自分の体を傷つけて血を流し、その血を捧げたりしていたと聞いたことがある。

神様に願いを叶えてもらうために、対価を払うということのようだ。


今の宗教では、お金を捧げるという対価の払い方をするなぁ。供養をしてもらうと、お金を払う。無料ではない。

罪を犯した人が罰金というお金を払って償う場合があるし、

長い間自由の少ない暮らしをするという払い方もある。

死刑の場合は、命を払う。


けどなぁ・・・命を捧げたらもうそこで終わりだよね。それでいいのかな?

めちゃくちゃ残忍な悪いことと釣り合うくらいに良いことをするという償い方もあるんじゃないかと思うけど・・・。

人のためになる良いことをするうちに、自分が取り返しのつかない酷いことをしたのだと実感し後悔するだろう。


命をもって償うより、罪と向き合ってもらう方が良いのではないかと思う。


・・・わたむし(妻)