「東京物語」の残念な子どもたち

原節子さんが95歳でなくなったというニュースで映画がいくつか紹介されていた。

その一つが「東京物語」。原節子さんは、夫を戦争で亡くした若くて美しい女性を演じていた。原節子演じる女性は、「紀子」と言い、事務仕事をして質素なアパートで一人住まいをしている。

この映画の時代は、戦後の昭和28年。多くの人が集まる東京で子どもたちは、尾道で暮らす年取った両親が思うような生活は出来てなくて、余裕がなく忙しい。

子どもたちは上京してきた両親を邪険に扱い、厄介払いに熱海へ行かせるのだが、騒々しい熱海で寝付けない両親は一泊で帰ってきてしまう。娘の家に泊まろうとあてにしていたが、会合があるからと嫌がられ、とうとう、その晩、両親の居場所はなくなってしまう。昼間、上野公園で過ごし、夕方、母親の方は紀子の部屋へ行く。父親は知り合いに会いに行く。

「とうとう宿無しになってしもうた」という父親の台詞があったと記憶している。

映画には、東京の様子と言えば、観光バスから見える立派な建物や皇居の様子しか見えなかったのだが、不慣れなところで一晩泊まる所がないなんて、想像すると胸が痛くなるようだった。ただ、亡くなった次男の嫁・紀子だけが親切にしてくれるところに救われる気がした。

年取った両親を疎ましがる子どもたちは、悪人ではないのだが、小悪人だなぁと思った。

尾道へ帰る途中、母親が具合が悪くなり、とうとう危篤状態となったと聞けば、とても心配して遭いに行くのだが、

よくよく考えるなら、年取った両親と会えるのはもう何回もないのだから、邪険に扱ったことは「小悪」のようで「大悪」なんじゃないかと私は思った。

上京した母親が、「もう会えないかも」と言ったのは、死の予感というだけではなくて、確実に起こり得ることだ。日々の生活に追われる子どもたちは、母親の言葉を軽く流してしまう。生きている間に親切にしておかなくて、亡くなって泣いてもなぁ・・・。

で、悪いことをしたなぁと後悔することもない子どもたちの様子に残念に思った。


・・・わたむし(妻)