鬼畜米英

筑紫野市の歴史博物館には、戦時下の学校の写真が展示されていた。

防具をつけて銃のような物をかまえている子どもの写真が印象に残っている。


中学生の頃、銃剣道の演舞を見たことがある。

防具は剣道の物と同じで、持っている物が竹刀ではなく銃剣だった。銃剣とは何か、その時には知らなかった。

戦争を描いた映画やドラマでそれを見て、戦争に使うものであると後に知った。


歴史博物館で見た写真には、それが写っていたのだった。

戦時下の子ども達は、敵を倒す訓練をしていたということか?スポーツ剣道ではなく、軍事教練だから、敵を想定して、敵を撃つ訓練をしていたのだろう。「撃つ」とは、相手を痛めつけたり、死に至らしめたりするということ。殺意を敵に向けることだ。

その敵とは、生身の人間だ。

ふと、「鬼畜米英」という言葉を思い起こした。

アメリカ人、イギリス人を「鬼畜」と罵っている。

鬼畜とは、「鬼と畜生」。アメリカ人、イギリス人を悪の権化である鬼と憎しみ、人ではない獣であると言っている。

相手を人間だと思わなければ、何とも思わずに殺せるのだろう。


また、「鬼畜」といえば、松本清張の小説を元にした映画を思い出す。私はテレビで予告CMを見ただけだ。そのCMで怖い話だと感じた。幼い子どもを大人が殺す話だ。

私は原作小説も映画も知らないが、ごく普通の人間が、子どもを憎んで死に至らしめることは、ごく普通の人間が人を死なせた戦争に共通するものがあるのではないかと思う。

少しでも思いやりがあれば、人を殺せないと思うからだ。

心が憎しみに覆われて、相手も弱い人間なのだと思えなくなると、恐ろしいことをしてしまうんだろう。


思いやりではなく、敵への憎しみを教育で植えつけるなんて、戦時下の教育はむごいものだと思った。


・・・わたむし(妻)