陶製の羽釜
筑紫野歴史博物館には、陶製の羽釜が展示されていた。
家庭で使われていた金属製の羽釜は国へさし出したから、代わりに土鍋のような羽釜が作られていたようだ。
土鍋でも美味しいご飯が炊けるのだから、わざわざ羽釜の形に作らなくても良いのにと思いながら私は、代用品の羽釜を見た。
まるで、弥生時代に戻ったようではないか。必ずしも金属の鍋でなくても料理はできるのだ。
工夫次第で、あるもので代用できる。
陶器の鍋は割れるけどね。
そういえば、今私たちが使っている便器は、陶製だ。
洗面台の洗面ボールも陶製だ。
私の勝手な想像だけど、戦時中に陶器で様々な代用品をつくったことで、技術が飛躍的に進歩したのではなかろうか。
陶製の手りゅう弾も作られたというから、何でも作れるんじゃないかなぁ。
陶器の歴史を調べると面白いかもしれない。
戦時下で物が足りない中、生活を守ろうと様々な工夫がされたけれど、美しい洋服を着たり、髪を飾ったりするのは許されなかったから、質素な戦時下の暮らしに憧れない。
私は、私の考えで質素に暮らしたいと思っているけれど、贅沢な暮らしをする人がいないと文化は縮こまってしまうと思うから、やっぱり自由に暮らせる平和な世の中が良い。
国の為に我慢しなくてはならない世の中にはしたくない。
・・・わたむし(妻)