志賀島の金印まつり

11時からの歴史ガイドに参加しようと志賀島へ行った。
 
志賀島は、昔は今のように陸続きにはなっていない「島」だったそうだ。
 
潮の流れが砂を運んできたのだろうか?
 
志賀島へ向かう道の両サイドには砂浜がある。
 
砂が積もって陸続きになり、そこに道路ができたのかな。
 
海が割れたような感じ。その先端にこんもりした山がある。そこが志賀島だ。
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ラソン大会が行われていた。
 
ピンクのゼッケンをつけた参加者たちが大勢走っていた。
 
もしかしたら、島を一周するコース取りなのか。
 
ピンクのゼッケンには、「コスモス」と書かれている。
 
コスモス薬品が協賛金を出しているのかな。
 
 
私と夫は、歴史ガイドに参加するつもりだったが、志賀海神社へ行くべきところ、間違えて金印公園へ行ってしまい、歴史ガイドに参加できなかった。
 
残念だった。
 
 
静かな金印公園から海を眺めた。
 
金印公園は、天明4年(1784年)、「漢委奴国王」と記された金印が出土したと思われる場所を記念して造られたそうだ。
 
どうして金印だけ見つかったんだろう?不思議だ。
 
金印公園は、マラソンランナーが走る道より高いところにある。
 
こんなに高いところで金印が見つかったのかな?
 
棚田があったのかな?
 
 
 
 
ちょっと離れた所に蒙古塚という西鉄バスのバス停があり、
 
立派な石碑が建っている。
 
文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)の2度にわたる蒙古襲来の古戦場に、蒙古の兵士を慰霊する供養塔が建てられたのだそうだ。
 
蒙古塚は首切塚とも言われていたという。
 
 
福岡ドームと福岡タワーが見える。その手前に能古島がある。
 
志賀島が戦場になったとき、能古島でも戦いがあったのかな。
 
元寇で博多は焼き尽くされたと聞いたことがある。
 
激しい戦いで亡くなった敵の慰霊をするのは、なぜなんだろう。
 
戦いで亡くなった人々の霊を慰める場所ではなくて、元軍の慰霊の場。
 
蒙古塚には、あまり説明書きがなくてよく分からなかった。
 
 
山の上には、潮見公園がある。
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車上荒らしの注意を呼びかけるポスターが何枚も貼られていた。
 
昼夜関係なく被害があるそうだ。
 
塩見公園のタワーには、恋愛祈願をした錠前がつけられている。
 
神社ではないけれども、縁結びのご利益が期待されている公園のようだ。
 
確かに、島が陸続きになっている様子は、人と人が縁を結ぶ様子にも見える。
 
 
だけど、縁結びを祈願しに来て、車のガラスを割られ、物を盗まれてしまうのは悲しいことだ。
 
 
金印、蒙古襲来、縁結び、マラソンという4つが印象に残った。
 
来年も祭りに参加したい。
 
 
・・・わたむし(妻)