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佐世保の同級生殺害事件のニュースは、
海外でも流れ、関心を持たれているようだ。
ニュースの内容が詳しくなるにつれ、私は、映画キルビルの場面を思い出すようになった。
アニメーションで残忍なシーンが表現されていた。
話題になった作品だったから、レンタルして見たのだったが、私には刺激が強すぎた。
事件に関連して、残忍なシーンを思い出してしまう。
また、ドラマ「仁」では、医学を志す人が人を解剖し、事件となった。
私は、高校の生物の授業でマウスの解剖をしたことがある。
最初のうちは、マウスに情を感じて、かわいそうと思ったが、
解剖に熱中し、かわいそうという思いはなくなっていた。
けれど、あとで、マウスを提供した先生が泣いていたと聞いた。
大学での生物授業では、ウシガエルを解剖した。
学びの糧とするとき、もしかしたら、生き物をはぐくむ気持ちは横へ行っていたかもしれない。
人の体を解剖してみたいという欲求を持ったとしても、
それをストレートに行うことはできないのだと、ブレーキがかからなかったのは何故なんだろう。
マウスやウシガエルを解剖して、私は自分の体について考えた。
解剖図鑑を見て、人間の体の内部を想像した。
実際に見てみたいとは思わない。
それは、怖いからだ。
ちょっと擦りむいただけで痛いではないか。
怪我をしている人を見て、胸が苦しくなったり、痛みを感じたりするではないか。
他人の痛みであっても、痛さは自分に伝わるような感じがするではないか。
自分の欲望のために人を傷つけるのは、やっぱり「悪」だと思う。
それが許されるのは、特別な人だけだ。
人の解剖ができるのは、医学を志す人だけだ。
医学を志す人は、解剖で学んだことを生かして社会貢献するのだから。
・・・わたむし(妻)