リーガルハイ

ドラマは、学校の中庭で合唱する生徒たちと先生の背後に、

ドンと音を立てて男子生徒が地面に落ちるところから展開する。



運ばれた病室で、母親に対して、学校の先生は、治療費は学校の保険で支払うと言う。

ベッドに横たわっている男子生徒は、骨折で済んだが意識が戻っていない。


ぅぅぅぅん。とっても不自然。

なぜ、意識が戻っていないことを心配せず、治療費の説明をするのか?

屋上から屋根に飛び移ろうとして落下した・・・つまり遊びだった・・・というけれども、

意識が戻っていない生徒・友だちを目の前にして、冷静なのは変だ。


母親は、「やっぱり いじめられていたのね」とつぶやき、学校相手に裁判をする。

学校は、「いじめはなかった」と主張する。


いじめがあったのか、なかったのかを争う展開だ。

でも、屋上から転落して怪我をし、一時意識不明だったという深刻な状況は

さほど問題にされずに話は進む。


ドラマは、終止、いじめの有無についてで展開する。


問題は、学校内で生徒が死ぬかもしれないような大怪我をしただろ。

どうして屋上へ行ったのか。なぜ転落したのか。

男子生徒の行動は全くドラマでは掘り下げられなかった。


もしもいじめがなくても、屋上から生徒が落ちてしまうことで安全対策の問題点を見つけようとしない学校のあり方は駄目駄目だ。


それに、遊びで「アナコンダ」「アナコンダ」と囃しながら、男子生徒に関節技をかけるのを何とも思わないなんて、もうそれだけで暴力だろう。

暴力が常習化しているんだから、それこそ「いじめ」だろ。


ドラマの最後に、空気を読んで行動することの功罪が語られたが、

安全管理に無関心だということ自体が、ものすごく問題なのに。




アナコンダ」「アナコンダ」と囃しながら技をかけている生徒たちの様子を見て、

素通りする先生なんて、クソだろう。

また、人の痛がる様子を見て笑うなんて、いじめそのものだろう。



そういえば、私が小学生の頃、和田アキコの番組で、デストロイヤーが徳光さんに4の字固めをかけて、

痛がる様子が面白おかしく放送されていた。今もお笑い番組では、人が痛がる様子を笑いのネタにする。

人が困る様子を娯楽にするのは、とっても嫌なことだ。どうして笑えるのかな?


ドラマ「リーガルハイ」の中でも、「アナコンダ」の技が決まり非常に痛がる様子が笑いのネタになっていた。





いじめがありましたと告白した担任教師が、職員室で孤立し、生徒たちから無視され「裏切り者」と書かれたメモを回され、学校での存在感を見失う場面があり、

そこはリアリティーがあると思った。




自ら進んで屋上から飛んだという男子生徒の告白か゜最後に宙に浮いてしまった。

飛べそうな気がしたから飛んだ・・・というのは、

言葉通りに馬鹿げたことなんじゃなく、

無意識に破滅の道を選んだということだ。

運よく男子生徒は怪我で済み、引っ越して新生活を歩めるが、

死ぬところだったという事の重さは忘れ去られてしまうような展開だった。



人の苦しみを笑いのネタにする空気にどっぷり浸かっていたら、

苦しめられている本人でさえ、苦しめられていると気づかないで、

自ら進んで飛び降りてしまうのだ・・・・とドラマは、その薄気味悪さを伝えたかったのかな。


担任教師は、男子生徒が飛び降りたことを忘れて、次の学校で再スタートするのだろう。

薄気味悪い終わり方だった。


裁判で勝った母親が1億円手に入れて高層マンションで暮らすという展開も。



・・・わたむし(妻)