国民民主の平野幹事長
選挙の演説で国民民主党の平野幹事長が、
ライターを聴衆に見せたという記事を読んだ。
悲しみが増すのとは違う思いを抱いた。
ライターを聴衆に見せ、京都のようになってはならないので点けるのは止めると言って笑いをとった平野幹事長。
馬鹿やろう。なぜ笑えるのよ。
私がその場にいたとしたら、「止めて」と叫んだだろう。
聴衆も笑ったと書かれていた。
子ども時代から、そして大人になってからもアニメは私の心の支えだった。
アニメの作り手になろうと思わなかったが、アニメファンでいつづけようと思っていた。
アニメ業界のブラックな労働環境について聞いて、その思いはしぼんでいったが、
京都アニメーションは独自に努力して、ホワイトな労働環境だったと聞く。
子どものいる女性も働いている健全な会社だ。
犯人によって、アニメづくりに携わる人たちが亡くなり、
貴重な資料も無くなった。
コツコツと努力して積み上げてきたものが、一瞬に破壊された。
大きな穴が開いた。
その穴は、修復できるかもしれないが元の状態には戻らない。
亡くなった人は生き返らない。
亡くなった人の未来は閉ざされた。
人の苦しみや文化の破壊を喜ぶのかと怒りを感じた。
国民民主党もそのような人の痛みが分からない人と同種の気持ちで政治をしているのか?
心に穴が開いたような喪失感と悲しみを感じる人が大勢いると分からない政治家なんて・・・。
愚か者だ。
愚か者と一緒に笑う聴衆も愚かだ。
・・・わたむし(妻)