不正に関わる・関わらない

森友問題に関わった職員が自殺した件で、

文書を書き換えさせられたというメモを残していたというニュース記事を読んだ。

書き換えろと命令され従い、罪の意識を抱いて心身の調子を崩して自殺したということかと読んだ。


ふと、過去の記憶が蘇った。

子どもが小学生低学年の頃、学童保育を利用していた。

私は保護者会の会長を引き受けていた。

学童保育所は自治体が設置し保護者会が会費を利用者から受け取り運営していた。

私は気の回らない会長だったが、スタッフからのある要望を受け入れることができず会長を辞めた。

その要望とは、そのスタッフの給与をそのスタッフに支払ったと処理せず、架空の複数に分けて支払ったことにしてほしいということだった。

そうしなければ、そのスタッフは扶養家族と扱われないからと。

「実際と違う処理はできない」と断ったが、

「悪いことをしようとしているかのように言われるのは心外だ」とスタッフは怒った。

話し合いは決裂し、そんなことはしたくなかったから私は会長を辞めた。

しばらくして学童保育も利用を止めた。


あの時、不正と知りながら不正を行ったとしたら、罪の意識を持ったに違いない。

辞めたから、後ろめたさはない。

ただ、心の寄り所の一つだった学童保育から離れ、人間関係でも孤立した時期があった。

罪と孤独、どちらを選ぶかという岐路に立ち、孤独を選んだことになる。

罪悪感より孤独の方が持ち安いと今でも思う。


ふと昔の記憶が甦り、世の中には無理を押し通す人がいるなあと思った。

自分の利益のために不正を不正と思わない人がいるなあ・・・。

小さな不正から大きな不正まで・・・。


関連して、別の記憶も蘇った。

自治体が運営するスポーツ施設で、市は「ずっと長く働ける」と言ってスポーツの専門職を集めたものの方針を転換し、スポーツ施設を民間会社に運営させ、働いていた人たちは辞めざるを得なくなった。

その民間会社に、その人たちが働き続ける方法はないかと尋ねると、週20時間以内で働いてもらいたいという回答を受けた。

一日に3時間程度のアルバイトしか採用しないと決めているとのこと。

自治体に尋ねても、働き続ける方法はないということだった。

つまり、自治体は「ずっと働き続けられる」と言ったにも関わらず責任をとらなかったということ。

私は自分のことのように腹を立て、「あなたたちは、騙していたんですね」と言った。

私は無力にも、腹を立てただけだった。

この出来事で、役所も悪事をはたらくと知った。


私自身は、組織におらず、人の役に立てる活動もしていないが、

不正や悪事に関わることはない。

しかし、腹は立つ。

無関心ではない。


・・・わたむし(妻)