掘り起こし

夫の職場に、片付けが苦手でミスが多い人がいると聞いた。

その人、困っているんだろうから助けてあげたらいいのにと私は思った。


ふと、古い記憶が蘇った。

仕事で定時制高校へ行き、高校の先生と話したときのこと。

その定時制高校では授業が終了すると、先生と生徒とで机をキレイに並べると先生は言った。

その教室を全日制の生徒と共有しているということもあるが、

机がキレイに並んでいる状態を知らないと、机の列の乱れを意識できないから一緒に整えるのだとのことだった。


その先生は、整った状態が良い状態だと生徒に教えていたのだった。

生徒への愛情が感じられる話だったなあ。

毎日毎日、机の列を整えても、生徒に意図が伝わらない場合もあるだろうが、

その先生は、何年もその教育を続けていたのだなあと思った。

夫の職場の話は、私の過去の仕事と関係ないが、私は教員の美しい姿を思い出した。

困っているのだろうから助けてあげたらいいのに・・・という私の思いは、

教育に携わっていた名残なのかもしれん。

困っている人を見たら、助けてと言われなくても助けるべきだという価値観も残っているようだ。


そして、思い出すのは、新卒の頃の困っていた自分の様子。

目の前の仕事をこなすのに精いっぱいで余裕がなく、困っているのに助けて欲しいと言えなかった。

とにかくいろんな意味で要領が悪かった。

潰れてしまうんじゃないかと精神的に切羽詰まったとき、あまり自分と関係のない立場にあった年配の先生が

「これを真似てやっていい」と指導案、細案、板書などの資料を見せてくれた。

助けがなかったら、どうなっていただろう。

仕事が遅い駄目な人と嗤われながら、自尊心が小さくしぼんでしまっていたかもしれない。


今、助けてくれた先生に近い年齢になったが、誰かに何かを教えたり助けたりすることなく暮らしている自分だなぁ。

そんな私の中に、「困っている人を助けたい」という思いは確かにあるのだと、夫との会話でつかんだ。

これは、ちょっとした自己発見だった。


・・・わたむし(妻)