老夫婦のドライブはもう無理。でも止められない。

実家の親と話していると、理解できないことがある。

80代になっても車を運転する父親について、

父親にもう運転を止めてもらいたいと言う母親が、

熊本の3333段の階段へ行くと言う。

熊本へは父親の運転で行くつもりらしい。

言っていることがバラバラだ。


父親はまた運転を止めるつもりはなく、新しい車を欲しいと思っている。

父親の言うことは、バラバラじゃないけど、

年齢を考えると、危ない望みだなと私は思う。


母親は車を買い替えることに反対で、車の整備に対して無駄遣いとさえ言う。

これもまた、危ない話だなと私は思う。

車に乗るなら、整備は必要だから。

買い替えに反対であっても、整備は必要だと分かってほしいところだが、話は噛み合わない。






母親自身は運転しないが、運転好きな父親が母親の足になって遠くへ連れて行くことができる。

だから、気軽に、佐賀や大分、熊本などへも出かける。

私よりも遥かに行動範囲が広い。

何十年も、気楽なドライブを夫婦で楽しんできて、その楽しみ方が体に沁みついてしまったのかなあ?

自動車がとても便利な移動手段だから、手放すのは難しいだろう。

運転する父親は、足を失うような困難さを味わうだろうし、

母親の方も、便利さを手放す気持ちの切り替えが必要なんだろう。


今は、言うこととやることがバラバラの混乱状態なんだろう。

車がなくても生活の質が低下しないと分かっていたら、運転を止めることが大変じゃないのになあ。

田舎では、車がないと生活の質が低下するのは目に見えている。

生活の質の低下、不便を受け入れるまで、まだ数年かかるのかな。

運転しない生活を受け入れるころ、死んでしまうんじゃないか・・・。





・・・わたむし(妻)