コミュニケーションが問題だ
コミュ力をつけるための本を買った。
書店に注文し、昨日、本を受け取りに行った。
50を過ぎた私が、今更コミュニケーションの本を買うなんて、妙なことかもしれないが、
コミュニケーション能力が低いという自覚があるので買った。
コミュニケーション関係の本を見ると、何とかしなくてはというような焦りに似た気持ちが持ち上がり、
本を買ってしまったということ。
って、この本の買い物は、コンプレックスを刺激されたコンプレックス買いか?
それにしても、書店での店員とのやり取りは妙なものだった。
「お名前は?」
「この本で間違いありませんか?」
店員の声は、なぜだか鋭く聞こえた。
1400円ほどの代金を支払って本を受け取ったのだけど、
買ったというより、売ってもらったという感じがした。
そして、カウンターを去る時に、私は「ありがとうございました」と言って頭を下げたのだった。
上下関係があるかのような振る舞いではないか?
なぜだろう。
雑に接客されたのに、私は「ありがとう」と言っていた。頭まで下げて。
オカシイだろう?
そうなんだ。妙なやり取りをしていると感じることがあるから、コミュニケーションについての本を買ったのだ。
腹が立っているのに、真逆の接し方をすることがある自分に違和感がある。
いや、違和感ではない。
相手が怖いときの私の接し方だ。
怖いから、「ありがとう」と言って去る。
「ありがとう」はお礼の意味ではなく、「早く去りたい」という意味かな。
書店でのやり取りを思い返すと、ちょっと気分が悪い。
その場で怒りを感じ取れなくて、後で感じて気持ちが悪くなるようだ。
書店で対応してくれたのは、中年にさしかかった太った女性だった。
私は、この人の人柄などは分からず、見た目に反応したんだろう。
女性の多い職場で働いて、女性を相手に仕事して、女性は怖いと思うことが多かった。
たまに怖さを思い出して、心臓がバクバクする。
書店に限らず、買い物していると対応してくれるのは大抵が女性だから、
妙に緊張する。
緊張すると、自然な会話ができなくなってしまうという悪循環が起こる。
本当はよくしゃべる人間なのに無口になってしまう。
そして、無口であると、会話に乗ってこない冷たい人と誤解されるという悪循環も起こる。
雑談が苦行の場になる。
このまま年を取って、人との関わりがなくなっていくのは良くないなと思う。
やっぱ、どうにかマシになるように、本を参考にして会話の練習をしようと思う。
書店での店員とのやり取りを深堀するのは止めておこう。
思い出すと気持ちが悪くなるから。
って、本について書こうとして思い出してしまったんだし、
本を読み返しても、苦行やそこで味わった恐怖を思い起こしたんだ。
これからも本を参考にして練習するたびに、気分は悪くなるんだろう。
少しずつ練習しよう。
・・・わたむし(妻)