免許返納


免許返納を巡り母親の首を絞める等の暴行をしたというニュース記事を見た。

79歳の母親が交通事故を起こしたから返納するよう話したというが、そう話した男が首絞めたんだから、

話にならない。

他人を傷つけてはいけないよと言いながら殴るような過ちだ。


それにしても、免許返納は悩ましい問題だ。他人事ではない。

私の親もこのニュース記事の人と同世代だから。


そして、恐ろしい事故を思い出す。

お年寄りの自分のことは自分でやりたいという思いは、事故につながることがある。

私の亡くなった祖母は、まめに家事をする人だった。

家に一人でいるときにガスでお湯を沸かしていて、その火が服に燃え移って火傷を負った。

皮膚移植の手術の経過は良好で、回復して帰宅すると期待していたが肺炎で亡くなった。


一人でガスを使わないようにと祖母は言われていたが、頑として聞き入れなかった。

事故の恐ろしさを知ってからでは遅いのだが、事故を知る前にはその恐ろしさを想像できないのだろう。

祖母が怖がりだったら、100歳まで長生きしたんじゃないかと思う。


自分のことは自分でできるという自信が事故を招いたのかも。


そうだな・・・。年をとったら運転できなくなるかもしれんと前々から思っていたり、

運動能力の低下に敏感だったりして用心していたら、つまり、衰えを恐れる思いがあったら、

免許返納は進むのかもしれないなあ。


そういう私は、この数年運転していない。

車を手放したから。

仕事を辞めたらそんなに車ででかけないから不要と判断した。

運転を止めて困ることはあまりなかった。

少し、行動範囲が狭くなっただけ。

運転を止めてもそんなに困らないよと言える。

ただ、ちょっとした寂しさはある。

運転するのが普通で、運転しないのは訳ありの人だという風潮があるからだ。

つまり、自分は普通ではないという寂しさがあるということ。


お年寄りの場合、運転を止めることは、能力の喪失という寂しさになるのかな。

転びやすくなったとしても、なぜだろう、運転は続けられると思うの。

転んで腕や足を痛めるのが怖いのと同じように、

運転をしくじると他人や自分を傷つけてしまうという怖さもあるはずだ。

怖いのと寂しいのと、どっちが良いかと聞かれたら、私だったら寂しさを選ぶ。


・・・わたむし(妻)