フェリシモについて

「頒布会」というフェリシモのシステムについて考えてみた。

まず、「頒布(はんぷ)」を国語辞典で引いた。

頒布とは、「品物などを、分けて配ること」とあった。


フェリシモを主語にして言うと、「フェリシモが客に品物などを、分けて配ること」になる。


ふと、戦時中の配給制度を思い浮かべた。

生きるために必要な品物を、選ぶ自由はなかった。配給では足りなくて不正なルートでも買い求めていた。

物が足りないとき、物があるだけで有難い。こんな米は食べられないと不満を言わない。飢えないために買う。

頒布会というシステムの通販では、日常生活になくてはならないものを買うのに適しているのかもしれない。

一度注文したら、定期的に米のような必需品が届くのなら不満を持ちにくいと思う。


また、できるだけ多くの品物をコレクションしたい人には便利なシステムかもしれない。毎月お金を払えば、自分では探せない珍しい品物が届けられるとしたら、どんな物が届くか楽しみだろう。

ペンをコレクションしている人だったら、ペンの頒布会に入るだろう。絵本をコレクションしている人は、絵本の頒布会に入るだろう。


フェリシモのホームページを見てみたら、人々の幸せに貢献したいという文章があった。単に物を売っているのではないらしい。

商品開発に力を入れて、他の通販や店では手に入らない独自の商品を届けて人々を幸せにするという理想があるのかなぁと思った。


フェリシモについて書かれたブログを見ると、「何が届くか分からないから待っている間ワクワクする」とか「ギャンブル感がある」と書かれたものがあった。

生活に必要な物を買うというより、贅沢な買い物をする通販なのかもしれないと思った。


・・・わたむし(妻)