いじめ自殺についての 仙台市長のコメントを読んだ

新聞に、仙台市長・奥山恵美子氏のコメントを見つけた。


いじめを苦に自殺した生徒について、「転校した」と生徒たちに説明した理由が述べられていた。


「ご遺族の衝撃が大きく、公表してほしくないという考えがあり、丁寧な対応が必要だった」

「公表まで長い時間がかかった。申し訳なかった」

「再発防止の観点から、公表の必要性を繰り返し遺族に説得してきた」

「長い間、生徒や保護者、地域の方々に適切な説明がなかったことは申し訳ない」

「転校した」と伝えたのは、遺族側からの要望によるものとのこと。



小さな記事だ。

この記事から勝手に想像した。遺族は、子どもが自殺したという事実を受け止められなくて、自殺したと公表されることに耐えられなかった・・・ということかな。

ふと、小中学校で同級だった人が自殺したのを思い出した。私はその人と親しくなかった。同窓会の準備をしていた際、遺族の方が同窓会名簿に載せないでほしいと言っていると聞いた。名簿から名前を外してほしいという要望だと。

その人の他にも、病気で亡くなった人はいたのだが、名簿から外したりしてなかった。準備していた私たちは、話し合いをした。

その結果、名簿から外さないでおくことになった。遺族の希望には沿わないということ。亡くなったという事実のみ記せば良いのではということ。

子どものころのその人の姿を思い浮かべると、部活を頑張っていて、いつも人に囲まれて賑やかな感じだった。

部活の練習場所が近くだったから、私は、その人が生き生きとスポーツに取り組んでいたのを思い出す。


私は遺族の思いをよく知らないが、同級生としては、名簿から外すなんてできないと思った。居なかったことにはできない。事実を曲げたくなかった。



自殺はニュースにならないから、仙台市の自殺のように、自殺がなかったかのように事実でない説明がされたんだろう。けれど、親しかった人は、転校したと聞けば行先を調べようとするだろう。

それなのに、「自殺した」と事実を告げられ、どんなにかショックだったか。

亡くなった生徒が不登校になった頃、学校がどのように関わっていたかは、ニュースでは分からない。

登校できないのを「あなたの問題だ」と突き放していたのか、学習や活動の支援をしていたのか、居場所を提供していたのか分からない。

生きていた頃に、ちゃんと対応していたのかな?

亡くなってから「転校しました」と説明して、何もなかったかのように授業をするのは不自然だ。

・・・わたむし(妻)