気持ち悪いオバサンのブログなのだ

日経新聞夕刊のらいふ欄。「プロムナード」というコーナーでジャズピアニストの山中千尋さんがエッセイを書いている。結構面白い。よく、ステージであがることについて触れられている。
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「複雑な和音でもコードネームで覚えてしまえば、簡単」と書かれているのを読んで、少し心が動いた。私は和音が苦手だから。

「音楽をコントロールするのは自分」「(間違えても)その場でどうにかなる」と思えるせいか「ステージであがること」からもだいぶ解放される・・・という記述にも心が動いた。

そんな風になりたいと思うからだ。


50歳を過ぎても、あがり症で緊張しがちな自分が情けないと思うけれど、演奏のステージでは誰でもあがるのだ、プロの演奏者でもあがるのだと思うと、ちょっと気楽になれる。

あがる訳はなんとなく分かっている。変だと思われたくないと思うからあがるのだ。

けれど、気楽に話していると、やっぱり変だと笑われる。


子供のころから、思いついたことを無防備に話すと嫌な顔をされたり叱られたり・・・。

そうなるのが嫌であんまり話さなくなった。で、会話・雑談の苦手な変な大人の出来上がりだ。


ああ、そう言えば、子供のころ祖母だけは冷ややに叱らなかったなぁ。懐かしい。結構たくさん褒めてくれた。

お手伝いが上手に出来ていなくても褒めてくれた。まとわりついても拒否されなかった。

祖母には愛されていたのだなぁ。


50を過ぎたオバサンが、子供時代を思い出して、「あの頃みたいに愛されたい」だなんて言ったら

さぞかし気持ち悪いだろう。

けれど、無口なオバサンも気持ち悪いだろう。

で、思い浮かんだことを言ってみて、つまらないことを言うなと言われて気持ちが凹んでいるオバサンも気持ち悪いだろう。

気持ち悪いオバサンがいるこの空間には、不協和音が似合うかもしれない。


不協和音が流れる部屋で、気持ち悪いオバサンがブログを更新しているのだ。


・・・わたむし(妻)