西日本新聞の一面を読んで
それはなぜか一面だった。
なぜ一面?スクープだったのか?
記事には、事件直後の加害少女の振り返りがあった。
殺人を犯し血の付いたシャツを着た自分の顔を見て、今までに見たことのないような異様な瞳の輝き見て、本当の自分はこうなのだと思った・・・という振り返り。
それと、母親が息を引き取った時に悲しみと同時に興奮を感じたという。
「人を殺してみたい」と告白し、自ら希望して精神科に通ったという。
それでいて、「虫の命も猫の命も人の命も、命としては等価ですよね。なぜ人を殺してはいけないの」という少女の問いが書かれている。
「命としては等価ですよね」という言葉が馬鹿げている。
殺人を反省しないための屁理屈だ。
小学一年の算数でも、虫と猫の数をごっちゃにしない。
「虫が一匹います。猫が一匹来ました。合わせて何匹ですか?」というような問題はない。
等価ではない。
虫は虫。猫は猫だ。
殺人は虫を殺すくらい軽いことだと言って、殺人という自分の行動を正当化しているんだ。
殺人という行動にこだわってしまって離れられません。助けてください・・・と言いたかったのかな?
反省したら、彼女は何と言うのだろう。
彼女にとって、罪を反省するのは難しいことなのかもしれない。
・・・わたむし(妻)