お薬手帳

円形脱毛症の治療のため、皮膚科へ行くと、待合室には思いのほか人が多く、
 
次の用事に間に合うかどうか不安になり、
 
「薬だけもらうこと出来ますか?」と受付の人に訊いてみた。
 
答えはNо。
 
 
1人ひとりの診察時間は短く、10分ほど待って私の番が来た。
 
診察が終わり、私は薬局へ行った。
 
間に合わなくなるのではないかという不安は解消された。
 
 
けれど、薬局では、
 
処方箋を受付に出したときに、私はひどく動揺した。
 
お薬手帳を忘れてきたからだ。
 
 
前にこの薬局で、お薬手帳を忘れないようにしなくてはならないと強く思う出来事があった。
 
お薬手帳を忘れた私に、薬局は
 
仮の薄い手帳をくれた。
 
それに、薬の名前と効能がプリントされたシールが貼られていた。
 
シールだけを渡すことが出来なくなったそうだ。
 
「あとで、シールをお薬手帳に貼り換えてください」と薬局の人に言われ、その通りにした。
 
すると、仮の薄い手帳は役割を終えてゴミになった。
 
 
仮の手帳とは言え、ノートの形に整えられた物を捨てる時に、私は罪悪感を持った。
 
それなのに、薬局でまたお薬手帳を忘れてしまい、「ああ、またもったいないことをしてしまう」と自分を責めて動揺したのだった。
 
 
 
 
 
紙代、印刷代、閉じる労力、そのための人件費がかかる。
 
労力がかかった物を私はまたもや捨てることになる。
 
結構、気持ちが凹んだ。
 
 
 
以前に見たNHKのテレビ番組を思い出した。
 
震災時、処方箋なしでお薬手帳を持つ人には持病の薬が渡されたという内容だった。
 
病院や薬局のシステムがダウンしたら、お薬手帳が命綱になると思いながら見たのだった。
 
 
それなのに、うっかり忘れてしまう。行動が伴わない自分。
 
 
知識があっても実がないという非難の言葉が頭に響く。
 
自分で自分を非難しているのだが、「世間」が非難しているかのように響く。
 
そして、「忘れないように気をつければ良いんだから大丈夫」と自分で自分に言い聞かせる。
 
次は忘れないようにしようと思う。
 
 
忘れ物しただけで、こんなに凹むから髪が抜けたんだろう。
 
 
・・・わたむし(妻)