作家になろう

番組モニターに応募して当選したことを息子に話したら、

息子は私に言った。


「すごいやん。文章磨いて作家になったら。」


私は、それを聞いて恥ずかしくなり、「私が書くことは大したことないから」と打ち消してしまった。

せっかく、「すごいやん」と言われたのに。


元々私は、一行日記でさえ書くのが嫌だった。何か書かなくてはならないというときに、

頭の中が真っ白になっていた。

書くことは、私にとってとても大変なことだった。

だから、このようにブログを更新することは、昔の私の視座から見れば、信じられないことだ。


息子が言ったように、文章を磨けば、信じられないような嬉しいことが起こるかもしれない。

「作家になる」は、自分の思いとは違うけれど、

ストレートに、気持ちを打ち消したりしないで夢を抱いていた方が良いと思う。


文章を磨いたらいいという言葉は、夫も言ってくれることだ。


10年前は、文章を書くのは仕事の一部であって、楽しいことではなかった。

苦労して言葉をひねり出して原稿用紙やワープロに向かっていた。

短いレポートを書くのも大変だったし、読み手のいる通信を書くのは、冷や汗の出るものだった。

今は、仕事でも何でもないのに、毎日何かを書いている。

楽しんで書いている。


息子が、「すごいやん。文章磨いて作家になったら。」と言ったのを

もう一度拾って、「もしも、そうなったらすごいね。」と言おう。


お金にならなくても、書き続けることは出来る。

自称、作家でもOKだろう。


あっ、こんな私の書いたものを、読み返してくれた人がいた。一人いたぞ。

私の書いたものが役に立った、仕事場に貼って読んでいたと言ってくれた人がいた。

それは、十数年前のことだ。

文章を書いたら、批判に晒されるのがとても怖くて書くのが嫌だったが、

一人、好意的な感想をくれた。

それも、別れのときに、私の書いたものが好きだったと言ってくれたのだった。

不器用な私は、「ありがとうございました」と返しただけだった。

それ以上、何も言えなかった。


こんな大切な思い出を私は忘れていたんだな。思い出せて良かった。


・・・わたむし(妻)