大津のいじめ自殺で思うこと

学校では、一週間の授業予定を書く。週案と呼ばれる。

1コマのめあてと簡単な内容を書く。

それを元に授業を進める。

授業予定には余裕はない。授業の積み残しがないようにするには

それをこなすようにしなくてはならない。

授業を潰して学級の指導をする余裕のある学校はあるのだろうか。


数年前、運動会直前に、鉄道事故で小学校の児童が亡くなった。一週間延期されて運動会が行なわれた・・という記憶がある。

私が子どもの頃にも、そうだった。無理心中によって子どもが亡くなったけれど、

なぜかいつものように授業はあった。

近所の子どもだったので葬式には参列したけれど。


東野圭吾の短編集で、非常勤講師が主人公の話があった。

担任教諭が自殺したために非常勤講師として主人公が着任。

子どもたちは、なぜ先生が死んだのか話すことなく、何もなかったかのように授業を受ける。

しかし、警察は捜査していた。

ことの真相は、主人公の推理がきっかけで明らかになる。

担任教諭は高所恐怖症だった。

それなのに校舎の屋上から落ちて死んだ。

足にはロープがくくりつけられて体重と同じ重さの重りがつけられていた。


ある出来事で担任教諭は子どもたちから総スカンをくらい、学級が荒れた。

真面目な担任教諭は子ども達の要求に応えるために高所から飛び降りる練習をし、

練習が失敗して亡くなった。

子どもたちは自分たちが教諭を追い込むまで、追いこんでいると気づかずに

亡くなってから気づいた。が、話せないまま教諭の自殺と片付けられるところだった。

おぼろげに記憶している話だ。

人が死んでも何事もなかったかのように授業を受けることが出来る。

この話では、捜査している警察官がいて、非常勤講師も人の死を軽く扱わない。

現実よりも小説の方が優しい。

「俺は非常勤」という本だったかな。よく覚えていない。



私が20代の頃、同年代の教師が過労死した。1年生担任だったかな。

何事もなく代わりの教員がクラスを引き継いだ。担任が死んでも さほど影響しなかった。


そういう現実を思うと、人の命は、消化されるように忘れられてしまうものなのかと感じてしまう。

学校では、担任が死んでも滞りなく授業が進められるシステムがある。

同じように、子どもが死んでも授業は行なわれる。


個人的な思いとしては、どうしてそんな風にできるんだろうと不思議でなららない。


・・・わたむし(妻)