アルジャーノンに花束を

ラジオ番組「パナソニック メロディアスライブラリー」で

ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」が紹介された。

夫と一緒に聴いた。

ユースケ・サンタマリア主演でドラマ化されていたのを思い出して、

見てみることにした。



10年前のドラマだ。

私は10年前にこのドラマを見て、ユースケ・サンタマリアに好感を抱いた。

で、10年前、原作が読みたいと思い、本屋でダニエル・キースが書いた物を購入した。

全くの原書は難しすぎるので、ルビ訳付きのものを読んだ。

難しい単語にだけ小さく日本語訳がついている。

読む感覚としては、難しい漢字に読み仮名がふられているのと同じ。


その後、映画も見た。


10年前に、私は「アルジャーノンに花束を」にはまっていたのだ。


幸福とは、自分がどのように考えるかによって決まるのだと教えてくれる話だと思う。


この連休にあらためて見てみたら、10年前とは違う味わいあった。

知能が高くなった主人公ハルは、笑われている自分は

好かれていたのではなくて馬鹿にされていたのだと理解し、

母親に捨てられたのだと解釈する。

が、ドラマの終盤では、

自分より劣る者がいることで安心する人が多いのだ・・という事実として理解する。

ハルをいじめて楽しんでいた人たちは、反省し謝罪する。

現実的には、自分のいじめ行為を反省できる人は少ないと思う。


ハルが働いていたパン屋では、「りんごを持ってきてくれ」と指図し、

りんごの入ったボウルを持ったハルに「15から6引いた数」と個数を指図する。

分からないハルに、「指を使っていい」と言うと

ハルはボウルから手を離す。バーンと音をたててボウルは落ち、りんごが転がる。

ハルは慌ててりんごを拾う。

その様子を店員たちが笑う。


できないことをさせて、失敗の様子を笑うといういじめをしていた人が

反省する・・というのは、現実にはありえないと思う。




ハラスメントについての本に書かれていたことだけれど・・・、

ハラスメントをする人を「タガメ」、される人を「カエル」に例えていた。

タガメは餌になるカエルをしっかり捕まえて、針のような口を突き刺して食す。

カエルは逃げることができない。

現実的には、いじめる人をタガメに例えた文章の方がぴったりだと思う。

タガメはカエルに逃げられたら別の生き物を襲って食べる。食べなければエネルギーが得られない。



ドラマ「アルジャーノンに花束を」では、現実にある人の悪意よりも、

善意・良心に焦点が当てられていた。

いじめていた店員たちは、「悪かったと思う」と謝罪し、

後に知能が衰えたハルを仲間として受け入れる。



アルジャーノンに花束を」では、

手術によって知能が高くなり、知りたくなかったことを知って苦悩する場面の後に、

知能が高くなったからこそ思考し、苦悩を乗り越える場面がある。

細かく台詞を追うと、その過程が分かると思うから、

みた、見直そうと思う。


・・・わたむし(妻)