自分は心が狭いのだろう

随分と前のことだけど、

水泳のレッスン後に練習していると、

「あなた速いから出て。」と言われて、コースから出された。

そして、その直後の休憩時間に、「酷いこと言って ごめんなさいね。」と言われた。

私は、「この人は、酷いことを言っていると分かってて言ったのかな。」と思い、

グループ内では頼もしいリーダーなのだろうが、

グループ外の私から見たら、怖い人だと思った。

ふと、その出来事を思い出した。


「あなた、速いから出て。」と言った人と、

要望書提出を「待って」と言った人は同一人物だ。


怖いと感じるけど、自分の意見を言うつもりだ。





人には、コミュニティーの内と外とで態度を変える人がいる。




そういえば、8月に水泳教室のコースの仲間が500円ほど出し合って、

職員に飲み物をお礼として買ったことがあった。なでしこジャパンが金メダルをとった直後だったから、

私たちは、「のしには、『なでしこ うきは』と書こうか。」等と言って笑い合った。

私は、個人的に何かプレゼントをしたことがなかったので、お盆を前にして「何かお礼をしたいよね。」という話に賛同した。お金を集める数日前のことだった。

だから、お金を集めると聞いたときに、「あのことだ」と分かって、すぐにお金を渡したのだった。

しかし、初めて聞いた人は、「何のこと?」と違和感ある態度だった。




数人の人がレッスン後、スーパーへ買い物へ行った。

私はスーパーで動悸等の症状が出ることがあったので、その時は一緒に行かず、

プールに残った。

すると、別のコースの人たちが集まって、私たちのしていることが批難されていた。

批難していた人たちは、私が発起人の一人であるとは知らずに、私に話した。

私は、聞き流すことができずに、発起人であることを言い、「すみません」と言った。

批難していた人たちは、「あなた速いから 出て」と言った人とそのお友だちだった。



ささやかなお礼をするにも対立があった。難しいものだ。




「うきはアリーナ」の職員に対する思いは、同じだろう。

同じ人に関わってもらいたいという気持ちは同じだろう。


それなのに、私は、要望書の提出を待つように言われたのを、

「誰かのツールにされている」ように感じて、

嫌だなと思っている。

相手から見れば、私はへそ曲がりで心が狭い人間だろう。