御花⑧

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 御花を訪れて残念だった事は、問注所氏に関しての、資料が展示されてなかった事である。

文禄四年(1595)大友家改易後、慶長三年(1598)十二月に、

問注所政連は所領を失って、長岩城を開城した。

関が原の合戦を経て、その後立花宗茂が改易となり、

後に、宗茂が柳河へ再入城する際、家臣として政連も帰来するわけである。

そうして、問注所政連は立花家の家臣として、働き続けたわけだが、

その当たりの資料が、あるのなら展示してほしいものである。

 写真は、問注所砂夫氏作の柳河城である。

問注所政連以後、柳川に残られた子孫の方であるのであろう。