御花を訪れて残念だった事は、
問注所氏に関しての、資料が展示されてなかった事である。
文禄四年(1595)大友家改易後、慶長三年(1598)十二月に、
問注所政連は所領を失って、長岩城を開城した。
関が原の合戦を経て、その後
立花宗茂が改易となり、
後に、
宗茂が柳河へ再入城する際、家臣として政連も帰来するわけである。
そうして、
問注所政連は立花家の家臣として、働き続けたわけだが、
その当たりの資料が、あるのなら展示してほしいものである。
写真は、
問注所砂夫氏作の柳河城である。
問注所政連以後、柳川に残られた子孫の方であるのであろう。