原鶴の合戦④(最終回)
秋月方の三奈木弥平次に打たれた、大友・問注所方の、野上上野入道一閑(かずより)は、
豊後より、弟が出向いてきて出家し、寺を建立し供養された。
それが、うきは市吉井町にある、淨満寺だそうである。
430年余経った今でも、現存しているのがすごい。
現在の淨満寺の写真を載せておく。
尚、この“原鶴の合戦”に関しては、“筑紫次郎の伝説紀行”
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/146haradurukassen.htmlに詳しく記載されている。
面白い内容であるので、目を通されると良いであろう。
豊後より、弟が出向いてきて出家し、寺を建立し供養された。
それが、うきは市吉井町にある、淨満寺だそうである。
430年余経った今でも、現存しているのがすごい。
現在の淨満寺の写真を載せておく。
尚、この“原鶴の合戦”に関しては、“筑紫次郎の伝説紀行”
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/146haradurukassen.htmlに詳しく記載されている。
面白い内容であるので、目を通されると良いであろう。