2008-07-30 侍島の合戦⑦(最終回) 問注所氏関連 #歴史 “鑑豊墓印”より南西に500mの所にある、十三塚。 ‘筑紫家覚書’によると、 ‘豊後勢、散々に破軍し、逃げるを追い討ちにして、首数千三百七拾三討ち取り、 其上、侍大将星野・問注所を討ち取り~右の首数拾三に分、針摺ノ山上に埋ける。’とある。 敗れ去った、大友勢の戦死者の首を百づつに分けて埋め、 十三の塚を築いたということである。 その内、現在残っているのは、一基だけである。 でも、塚に沿ってある木は、鳥の足のように見える。