長岩城跡・・・石段の上の説教所跡

石段の上に建物がある。

説教所跡だ。

これは、長岩城に関係あるものなのかと勘違いするほどの存在感がある。

しかし、これは吉井の浄満寺が説教するために明治時代に建てたもの。

浄満寺の檀家が姫治地区に多くあり、土地を提供してもらって檀家の協力で建てられたそうだ。

今は使われておらず、朽ちてきている。

土地を提供したのは、近くの野上氏。木材産業で財を成した家だそうだ。

この家は、原鶴の合戦で討ち死にした野上一閑の子孫に当たるそうだ。

浄満寺の野上家は、野上一閑を供養するために出家した弟の血筋にあたるそうだ。

土地を提供した家と提供された寺は、五百年くらいさかのぼると兄弟だということだ。。。


説教所跡のもう一段上に石垣があり、そこに城は築かれていたそうだ。