福岡空港の歴史

NHK福岡「実感ドドド」で福岡空港の歴史が特集されていたので、録画して見た。


私が子どもの頃、福岡空港と呼ばず、「板付」と呼んでいた。

「板付に行く」は、空港へ行くことを意味していた。

いつからか、「板付へ行く」と言わなくなり、

福岡空港」の呼び名しか聞かなくなった。

その理由を知らないままだったが、「実感ドドド」を見て理由が分かった。

ざっくりとその内容を書いてみる。


もともと日本が作った飛行場があった。

戦後、アメリカが接収し、アメリカ空軍の基地として使用することになった。

飛行場は「板付基地」となり、近くの春日市などにアメリカ軍人が生活する家や店などが作られた。

2千数百人の日本人が板付基地で働いていたそうだ。

アメリカの文書によると、朝鮮戦争ベトナム戦争で軍事的に重要な基地は、福岡の板付基地と山口の岩国基地と認識されていたという。

板付に離陸する軍用機は、戦争で砲撃された機体が少なくはなく、トラブルが多かった。

福岡市東区香椎の住宅に墜落し、そこに住む女性と子どもが亡くなった事故。

人的な被害はなかったものの、九州大学の建設中の建物に墜落する事故もあり、

板付基地への反対運動が起こった。50年前のことだ。

アメリカは安保体制を保つため、板付基地を沖縄へ移転させ、板付基地は福岡空港として今に至っている。

基地が移転してからも、福岡空港アメリカ軍も利用できる空港であることに変わりはなく、

現在もアメリカ軍機が離発着しているそうだ。



ユーチューブにも板付基地の動画があった。



・・・わたむし(妻)