「田舎」の私

夫が職場で雑談したことをたまに教えてくれる。

那珂川町が来年、那珂川市になること。

那珂川町の駅から新幹線で博多駅へ行けるから、人口が増加したそうだ。

「なかがわ」を自虐して「いなかがわ」と言う人がいるそうだが、

もはや田舎ではないらしい。

私は那珂川町へ行ったことがないので、

ぼんやりと街の様子を想像するだけだ。


私らの住む二日市のことを、「田舎」と馬鹿にする人は多いそうだ。

私は二日市のことを、ほどほどに田舎なのに交通の便が良いと思っているが、福岡市に住む人(夫の職場の人)は、二日市を「住むところではない」と言い切るそうだ。

視線は福岡市の中央に向けられ、福岡市から離れたところには向けられていないというか、関心を持たれていないようだ。


私も一時期、福岡市内に住んだことがある。確かに住みやすいところだが、

言葉が違うと馬鹿にされた経験があり、

言葉の違いで人を区別する感覚は、閉鎖的だと感じた。

博多弁が標準語で、筑後弁は田舎言葉と感じられていたようだ。


二日市にいると、博多弁との違いは私には分からない。

福岡高校出身の夫の友達が言うには、夫の言葉は偽博多弁らしい。


夫の雑談から、福岡市以外は関心を持たれていないようだと感じたが、

「街」対「田舎」の構図でものを見ると、

三大都市圏を「街」と見るなら、福岡市は「田舎」になる。

三大都市圏の東京・名古屋・大阪から見ると、福岡は地方都市の一つであって、

興味の的ではないだろう。

三大都市圏の中でも、東京から見れば、名古屋と大阪は地方になる。

東京が「街」で地方は「田舎」とも言えそうだ。

福岡が「街」と言うとき、九州を範囲として見る。

日本全体を見てからだと、福岡は「地方の田舎」かなあ。


毎日、東京から発信される情報を見聞きしているのに、

足が東京へ向かわないのはなぜだろうと、ふと思った。

お金に余裕があったら、観光で行ってみたいねと夫と話すんだけど、

本気で行きたいなら、コツコツ旅行資金として貯めて観光旅行をするだろう。


ゴールデンウイークが近づいて、他人の旅行話を聞く。

夫の職場の人も、いろいろと計画しているようだ。

休み明けに、話を聞かせてもらえるだろう。


私は旅行を楽しみたいという気持ちが湧いてこない。

何時間も乗りもので移動すると考えると、

無理だなと諦めてしまう。

私の場合、1時間ほどの移動で精一杯だろう。


うらやましい。

旅行を楽しめる人が、うらやましい。

「街」を見てみたい「田舎」の私は、「田舎」から出られない。

他の「田舎」へも行けない。

江戸時代の村人みたいだな。


・・・わたむし(妻)